大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所 昭和42年(行コ)8号 判決 1971年5月14日

控訴人

関口精一

代理人

大矢和徳

外九名

補助参加人

西岡宏

外一〇名

代理人

中村亀雄

外二名

被控訴人

角永清

代理人

樋口恒通

主文

原判決中、地方自治法二四二条の二に基づく請求を棄却した部分を取り消す。

被控訴人は津市に対し、金七六六三円およびこれに対する昭和四〇年五月六日以降支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原判決中、慰藉料請求を棄却した部分に対する控訴を棄却する。

訴訟費用中、地方自治法二四二条の二に基づく請求につき生じた部分は第一、二審とも被控訴人の負担とし、慰藉料請求につき生じた部分は第一、二審とも控訴人の負担とする。

この判決は、控訴人勝訴の部分に限り、仮りに執行することができる。

事実

控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人は津市に対し金七六六三円及びこれに対する昭和四〇年五月六日以降支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。被控訴人は控訴人に対し金五万円およびこれに対する昭和四〇年一月一四日以降支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする」との判決を求めた。

当事者双方の事実上、法律上の主張は、次に付加訂正するほか原判決事実摘示のとおりであるから、ここに右記載を引用する。

請求原因第三項第二段落(原判決書二枚目表一行目より三枚目裏一行目まで)中、「(津市教育員会は……収入役をしてなさしめたものである。)」とある部分および第三段落(原判決書三枚目裏五行目より一〇行目まで)中、「……が内部的には教育委員会の……共同でこれに関与したものというべきある。」とある部分並びに被告の答弁第一項(原判決書六枚目表一三行目より裏一行目まで)のうち、「被告教育委員会は右金員の支出行為には関与していない。」とある部分を、それぞれ削除する。

(控訴代理人の陳述)

第一本件訴訟の意義

一精神的自由に関する憲法秩序保持の訴訟

本件訴訟の骨子は次のとおりである。即ち、地方公共団体である津市が主催して、神社神道の神職が主宰する地鎮祭を挙行し、これに要する費用を公金である津市の予算から支出したことは憲法二〇条及び八九条に違反するから、右公金の支出責任者である被控訴人津市長角永清個人は、右憲法の各条項及び地方自治法二条一五項、同法一三八条の二に違背し、違憲違法に支出した右金員(初穂料、供物青物代等金七、六六三円)を津市に対し賠償せよ等の請求をなすものである。

世上、土木建築工事に際し、神道式に則つた地鎮祭がしばしば挙行されているが、この種の行事を本件の如く国や地方公共団体が主催して行うことは政教分離の原則を確立した日本国憲法の下においては許されず、行政実例をみるも、昭和二一年一一月一日発宗第五一号地方長官宛内務・文部次官通達以降今日に至るまで、一貫して、この種の宗教的儀式ないし行事を地方公共団体が主催することを厳しく禁じているのである。

若し本件訴訟について、地鎮祭なるものは、いわば日常的に行なわれているのであり、またこれに支出される費用も通常は極めて少額であるから、これを違憲違法な支出として訴訟を提起してまで争う必要はないとの考えがあるとすれば、右見解は精神的自由の本質について著しく理解を欠くものといわなければならない。成程、本件訴訟は、その基礎とする自然的事実は、日常的儀式に関する少額の金員支出であるが、そこには国民の精神的自由の中核をなす、否、基本的人権の根幹をなすところの信教の自由及び政教分離の原則に関わる憲法上の重要な問題が潜んでいるのである。原判決が右の自然的、表面的事実にのみ目を向け、控訴人の本件請求を退けたことに控訴人及び参加人らは全く承服することができない。原判決は、後に述べるように明治憲法の下における国民の精神的自由侵害のいまわしい歴史に徴し、日本国憲法が厳粛に確立した日本国民の精神的自由に関する憲法秩序を形骸化するものである。

さて、本件訴訟には憲法解釈上の論点が多々あるがとりわけ重要な理論上の問題は次の二点である。即ち第一に戦前戦中、明治憲法下において、“神社は宗教に非ず”という説明によつて実際には宗教である神社神道が国家権力と結びついて特権を得、他宗教を抑圧し以つて国民の精神的自由の侵害を招いたのであるが、その神社神道が憲法上宗教であるか否かが、本件地鎮祭の宗教性の有無に関連して問題とされている。本件訴訟は歴史的背景をもつ右の問題について裁判所の判断を初めて求めるものである。第二に神社神道の行事たる地鎮祭が憲法二〇条三項にいう宗教的活動か否か、とくにこれがいわゆる習俗化して宗教的意義を全く失つたものであつて宗教的活動ないし行事としての実質を失つているか否かが本件の重要な争点になつているのである。

ここで留意せられたいのは、神社神道においては後にも述べるように地鎮祭と同様の神道式儀式によつて宗教団体としての日常の活動が行なわれていることである。万一にも神社神道は宗教でないとされた場合はもちろんのこと、地鎮祭が宗教的活動でないと判断されるようなことがあるとすれば、“神社は宗教に非ず”とされた戦前の宗教暗黒時代におけると同様に神社神道は真実宗教であるにかかわらず、憲法上宗教として取り扱われないことになる。したがつて神社神道と国や公共団体との公の結びつきが野放しとなり結局他宗教の上に立つてこれを抑圧し、また無宗教の自由を侵害するところとなりかねない。更に地鎮祭その他の神社の祭儀が宗教の儀式、活動ではないということになれば、国や公共団体が国民に対し公権力をもつて儀式に参加することを強制してもさしつかえないこととなり、とどのつまり、政教分離の原則が崩壊することはもちろん国民の精神生活上もつとも根幹的な人権である信教の自由の保障も全く危くなるというおそれが生ずるのである。

このことは単なる危惧ではない。とりわけ現在の政治、社会情勢をみると昭和四二年に国家神道と密接な関連のある紀元節が復活し(これは特定宗教たる皇室神道と神社神道の祭日である紀元節祭が公的に権威づけられたものである)、神社神道の一神社である靖国神社の国営化を図る靖国神社法案が再三にわたつて国会に提出されその成立が期されている。

これらの一連の神道国教化の動きに対し教育、宗教、歴史、文化の各界や革新団体を中心とする国民各層の反対の動きも又活発である。紀元節問題についてみると、右国民各層を結集した「紀元節」問題懇談会が早くから結成されるなど、国民多数の根強い紀元節反対の勢いを背景に反対運動が持続的に展開され、そのため紀元節法案は昭和三二年以来九回に渡つて国会に提案されながら、審議未了廃案となり、建国記念日の日を審議会で定めることとする、いわゆる審議会方式をとる誤魔化しによつて、ようやく昭和四一年に至つて初めて成立するという経過をたどつたのである。

又、靖国神社法案については戦前戦中の国家神道のしつこくの悪夢の醒めやらぬ宗教界からまず反対の動きが出、早くからその意思表明が行なわれて来たが、昭和四二年同法案作成が具体化し自民党村上代議士のいわゆる村上私案が発表されるや、仏教、キリスト教、新宗教(PL教団、立正佼正会等)、教派神道等、神社神道以外の各宗派が反対の声明を行ない、且つ、これら団体の加名、関係する靖国神社問題連絡会議が結成され、法案の研究調査、国会政府への請願、集会デモ、ハンスト、霊じ簿抹消の請求等同法案に対するあらゆる形態の反対運動が以後、今日まで行なわれているのである。

特に特筆すべきことは、初めて靖国神社法案国会提出が決定された昭和四四年五月、神社神道を除く主要な宗教団体全部が一致して佐藤自民党総裁に対し同法案を提出しないよう強く要望したことである。

明治以来、各宗教団体が一致して政治的行動をともにしたことは、いまだ嘗て無いことであり、いかに同法案が宗教界にとつて重大な意味を持つものであるかを物語るものである。現在では右の宗教団体に限らず教育、文化、歴史、各界労働組合、市民団体、自民党を除く各政党など、各界の広汎な反対運動がたかまつており、靖国神社法案は二回に渡つて廃案となり今日に至るもいまだその成立をみないのである。後に詳説するように日本国憲法が政教分離の原則を宣言するに至つたのは、明治憲法の下における国民の信教、思想、言論、集会等民主主主義政治を支える基本的自由の著しい侵害のもととなつた神社神道と政治権力とのゆ着を排除するためであつた。右の如く国家神道復活の兆の顕著な現下の社会情勢の下において裁判所がわが国における政教分離の原則の憲法事実を顧み国民の精神的自由に関する憲法秩序を保持されることを切望して止まない。

二住民訴訟の意義

本件訴訟は地方自治法二四二条の二に基づく住民訴訟である。住民訴訟は、憲法に定める「地方自治の本旨」なかんずく「住民自治」の原則に根底を有し、これを具現するために制度化されたものであり、そのねらいは後に述べるように住民に“私設法務総裁”としての役割を果たせることにある。

住民訴訟の訴権を与えられているものは地方公共団体の納税者ではなく、住民である。このことは、住民訴訟の目的が納税者の利益の擁護に止まるものではなく、より広く、地方公共団体の機関または職員の違法な財務会計上の行為に対して、地方自治行政の公正と住民全体の利益を保障するところにあることを意味する。住民訴訟は「いわば法規維持を目的とする特殊の訴訟」なのであり(福岡地判昭和三一年三月一四日行裁例集七巻三号六五六頁)、「弾劾的民衆争訟の性格を帯有するもの」なのである(静岡地判昭三〇・五・一三行集六巻五号一二四二頁)。従つて、本件公金支出の違法性の判断は、その支出行為が法に適合し、住民の意思に基づいて行なわれたものであるかどうかという視点からなされなければならないのであつて、その額が少額であることは本件公金支出の違法性を左右するものではない。

ちなみにわが国の住民訴訟はアメリカ各州のtaxpayers'suitに範をとつたものであり、基本的にこれと趣旨、目的を等しくするものであるから、当初は「納税者訴訟」と呼ばれていたが、前記の如くこの訴訟を提起するための要件として原告が地方公共団体の納税者であることは要求されていないからこの呼名は的確な表現ではない。こうした理由から、昭和三八年改正前の地方自治法の下においても、この訴訟を「住民監査請求訴訟」「住民訴訟」と呼ぶことがあつたが右改正の際に制度の大幅な手直しがなされ、正式の呼称を「住民訴訟」とすることになつたのである。

なお、住民訴訟は、この制度の母国であるアメリカ各州においては、沿革的にいえば、元来、納税者の利益を擁護することを目的とするものであつた。アメリカでは、この訴訟を認めることの理由づけとして、地方団体の職員の行つた違法または不正な財務行政上の行為は信託受益者である納税者に対して信託違反を構成するとか(株主訴訟類推説)、地方団体の職員の違法・不正な公の財務会計の運営は納税者の税負担の増加を招くことになるから、納税者はかような行為を裁判で争う利益があるとか(税負担増加説)いう説明がなされてきた。

しかし、今日では、アメリカでも、株主訴訟類推説や税負担増加説は十分の理論的根拠に乏しい古めかしい学説であるとしてしりぞけられ、これに代つて州または地方団体の機関または職員が職務上の法的規制に違背して行為した場合に、これによつて生じた公益侵害を市民・住民・選挙民等の公的権利の侵害として構成し、従つて、これらの者に訴権を認めるべきであるとする出訴適格拡張説が、この種の訴訟を基礎づける有力な論拠となつている。そうして、これに伴つて、出訴事項もいわゆる財務的事項から非財務的事項にまで拡張される傾向がみられ、納税者訴訟は、次第に、市民訴訟と呼ばれるにふさわしいものになりつつある。今日のアメリカ各州の市民訴訟のねらいは、選挙民、市民、納税者などに“私設法務総裁”としての役割を果たさせることにあるといえよう。

わが国の住民訴訟は、昭和二三年の第二次地方自治法改正の際に、旧二四三条の二(昭三八法九九による改正前)の規定によつて制度化されたものであるが、当初から、この訴訟を提起するための要件として、原告が地方公共団体の納税者であることは要求されていないのである。

わが国では、住民訴訟制度は、直接請求、住民投票などと並ぶ地方公共団体の住民の直接参政の手段の一種であり、新しい直接的民主制の一方式として設けられたのである。このことは旧二四三条の二の規定の提案者がこの規定は「住民自治参与の範囲を拡張する等の措置」の一環をなすものである旨説明していることからも明らかである。尤もこの場合、住民は、いわば能動的地位に立つて地方公共団体の意思決定に参与するわけではない。しかし住民としての地位に基づく訴権を行使し、裁判権の発動を促すことによつて違法な財務会計行政の管理・運営を防止・匡正し、もつて行政運営を地方公共の利益と住民の利益に合致するようにしむけるという特別な方法で自治の運営に参与するものとみることができる。

地方自治は民主主義の学校である。地方公共団体の一住民が住民自治の見地から、憲法の定める信教の自由、政教分離の原則に思いを至し、提訴し、かつ、これに多数の住民が訴訟参加している本件訴訟は、単なる損害賠償請求の民事訴訟とは異り、住民の手によつて地方自治運営の公正を確保するための住民の参政権の一環をなす訴訟であることに裁判所は充分留意され、本件の審判に当られることを切望して止まない。

第二信教の自由及び政教分離の原則の意義

一信教自由、政教分離条項の沿革

信教の自由は、歴史的にみて自由権の中核的地位にある。信教の自由こそが世界で初めてのアメリカ人権宣言を生み出す大きな原動力となり、ついでその後世界各国で作られた近代憲法の文字どおりすべてに採り入れられたのである。

明治憲法は国民の意思によつて成立したのではなくいわゆる欽定憲法であり、かつ神権天皇制を根本義としていたから真の意味の近代的憲法とはいえなかつたが、信教の自由に関しては、一応の保障をなした。しかしその条項は「日本臣民ハ、安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ、信教ノ自由ヲ有ス」(二八条)との限定つきであつた。しかして憲法が神秘的な神権天皇制を根本としていたことと相まつて、“神社は宗教に非ず”との説明によつて神社と国とを結びつけ、事実上神道を国教化し後に詳しく述べるように国民に対し神社参拝を強要するなど国民の信教の自由や他の宗教団体の活動を制限抑圧したのである。

右のような戦前戦中の特定宗教と国との結びつきが信教の自由、思想・良心の自由の破壊を招き、そしてそれによつてわが国が軍国主義・戦争へと押し進んでいつた苦い経験に鑑み、日本国憲法は第一に信教の自由を何らの限定なく絶対的に保障する(二〇条一項前段、二項)とともに、国と特定宗教との結びつきを排除して信教の自由の確実な保障を図ることを大きな目的として徹底した政教分離の原則を確立したのである(二〇一条一項後段、三項、八九条)。

二信教の自由の絶対性・マイノリテイの人権

信教の自由は人間の精神の自由の中核である。即ち個人の宗教的信念宗教心はその人にとつて世界観、人生観(生きるという意味)の基本であるからこれを抑圧制限されあるいはその信仰を曲げることを強要されるなどのことは死にも等しいとされるような精神的価値を持つているのである。そのうえもともと信教の自由のような精神的自由は内心において考えることを基本的要素としているから他の人権との衝突が起る可能性は極めて少ない。したがつて以上二重の理由で公共の福祉を理由とする権利の制限は最少限―ほとんど零といつてよいほどの狭い範囲に止められるべき性質のものであり、いやしくも信教の自由に関する限りは、公権力による制限や抑圧は、絶対になされるべきではないといつて過言ではない。

なお、原判決は、本件地鎮祭に参加した津市職員や関係市民の大多数は、津市が本件地鎮祭を主催したことを信教の自由の侵害になるとは考えていないかのように認定し、控訴人が己の信教の自由を侵害されたとして提起した本件請求を排斥したようにも受け取れる。原判決の右認定は後に詳説するように早計に失するが、仮に神社神道による地鎮祭に参列することを自己の信条に反すると考える国民は数少いとしても、このことを以つて本件の信教の自由侵害の有無の判断資料とすることは許されない。

思うに人権条項のねらいは、あらゆる政治価値の根元をなす個々の人間を、自由な存在として取扱おうとするところにある。人権条項が保障しようとしているのは、個々の人間の人権であり自由である。マイノリテイの権利の確保ということが人権規定の根底にあることは異論あるまい。たとえ少数者であつても、彼らが宗教的自由(無宗教の自由)を侵害されたと訴えるとき、その少数者の自由を保障するのが正に人権条項であろう。特に精神生活の自由に関する人権条項は厳格に解釈されなければならないと思う。

若し仮に裁判所が大部分の国民が神社神道による地鎮祭に馴染んでいて少しもこれに違和感を感じていないのだから(このような認定はそれ自体後に述べるように誤りである)、この程度はかまわないのではないかと考え控訴人及び参加人らの主張を排斥する態度に出るとすれば、それは人権の本質についての理解を欠いた態度といわなければならない。この点で高柳鑑定人が公立学校の教室での祈りを違憲とした米国最高裁判所の判決が相当ひどい批判攻撃を受けた例を挙げ「人権条項を厳しく解釈する判決は、社会の健全な常識ある人々と自称する可成り広範な層の人からは必ず悪口をいわれる宿命にあるように私は思います」と述懐していたことを想起されたい。

三政教分離原則の目的とその独自性

1 制度的保障としての政教分離原則

右のとおり信教の自由が個人にとつて極めて価値の高い自由権であるにかかわらず、それが確実に保障されることは必ずしも容易ではなく、とくに我国では前記のとおり現実に甚しく侵害されてきたのである。その原因について考えてみると我々は歴史上の事実によつて特定宗教と国や公権力とが結びつき、その宗教に特別な地位や権力、権威を与えた場合に必ず信教の自由の侵害が行なわれることを発見する。欧米においてその例は枚挙にいとまがないが我々にとつては、我国の戦前戦中の国家神道による信教の自由の破壊がもつとも身近なしかももつとも深刻な例である。

信教の自由は、国家権力が国内の一切の宗教を掌握し、これを自由に駆使した場合存在しえない。又国家権力が特定の宗教を支持しかつそれに特権を与えた場合も同様である。それは必然的に他の宗教を不利に取扱うという結果をもたらすからである。国家が宗教的確信をその支配下におくことを断念すればするほど信教の自由は実現される筈である。すなわち政教分離なくして信教の自由は保持できない。政教分離の自由を具体的に実現せしめる現実的手段であり、信教の自由の重要な制度的保障の原理なのである(「現代国家における宗教と政治」相沢久著頸草書房刊一七七頁以下参照)。

2 政教分離原則の独自性

政教分離原則は、信教自由の楯(制度的保障)としての性質に止まることなく、さらにそれ以上のものを目指す独自の目的性をもつている。すなわち政府と宗教との結合はそのこと自体宗教を堕落させ同時に政府を破壊する可能性をもつからである。これについて米国最高裁判所のブラック裁判官が一九六二年のエンゲル対バイターレ事件において明快に説いている「政府が特定の宗教と通ずること、あるいは宗教活動を行なうこと、極端な時は国教を作ることだがそれはその宗教の宗旨と違う信仰を持つ人々に憎しみと軽べつと侮辱をひきおこし危険だ。政府自身にとつて甚だ危険なことだ。他方、宗教、宗派にとつても致命的なことだ。何故なら宗教が政府の支持を頼りにして宗教を拡げることになり、それは宗教としては一般民衆の尊敬を失うことになる。宗教は宗教そのものによつて信徒の心をつかむところにその本質がある。政府の手を借りてそれを行なうのは宗教の本質を失なうことになる。それほど重大なものだからおよそ世俗の権力は手を触れてはいけない」。

政教分離原則は信教自由の楯としての役割の外にそれをこえてこのような独自の価値をもつているものである。政府や公権力が特定宗教と関係をもつこと、すなわち政教分離原則を破ることは当該の宗教以外の宗教や一般国民にとつて信教の自由の重大な脅威・侵害となるばかりでなく、関係をもつた当該の宗教自体にとつても政府にとつても結局決して好ましい結果をもたらさず、かえつてこれを堕落破壊させるのである。政教分離原則はいかなる場合でも厳格に守らなければならない重要な大原則なのである。

第三わが国における政教分離の原則の憲法事実

日本国憲法が政教分離の原則を明確に宣言した理由は、既にしばしば触れたように、わが国における国家神道によるイデオロギー的な支配を完全に払拭することにあつた。ここではわが国における政教分離の原則の憲法事実を明確にするため、日本国憲法成立の前後にわたり、国家神道の動向を探り、わが国における信教の自由の実態を明らかにしよう。

一、神道の特質

一般に宗教学上宗教は自然宗教(民族宗教)と創唱宗教(世界宗教)とに二大別される。自然宗教とは原始宗教やユダヤ教の如く創始者をもたない宗教でありふつう世界的普遍性をもたないから一民族の範囲内しか伝播せず民族宗教として性格づけられる。創唱宗教はキリスト教、仏教のように創始者をもちその教説に拠る宗教であつてすべて世界的規模において伝播する可能性をもつているという意味で世界宗教である。神社神道は民族宗教(自然宗教)の一つである。

民族宗教(自然宗教)はもともと未発達な生産段階(原始社会)での共同体的な社会集団による生活と生産のための儀礼中心の宗教であつたから、日本の原始社会のようなイネ作りを主体とする農耕社会ではイネの豊饒を求める豊耕儀礼が民族宗教の主要な内容を形成した。民族宗教の特徴は以上のことからわかるように宗教教義ないし宗教イデオロギーが整然と体系化されるということはむしろ少なく儀礼に主要な機能があるのである。神社神道も祭祀中心であり教義が必ずしも正確に体系化されていないがそれは右の理由によるものである。そしてとくに神社神道は地理的に孤立した日本で生成したため、その周延部分においては仏教、儒教等宗教と接触して宗教としての自己を形成し展開したが、主体をなす神社祭祀そのものは一九世紀形態を持続した点際立つた特徴がある。

原始社会で営まれる民族宗教は、小規模な社会集団の全成員による生活と生産の共同体を維持するための儀礼であつた。民族宗教の集団はそのまま社会集団でありこの共同体から抜け出すことはその人間の死を意味していた。神社神道はこのような原始社会での観念形態を残存させているから今日でもそのような考え方のあらわれが随所に残つている。氏子制度はその典型的な名残りであり産土神観念もそうである。右の共同体構造は個人の宗教的自由を無視する結果となるものであるから今日においてはもちろん容認されるべき性質のものではない。神社神道が共同体意識を貫こうとすれば必然的に近代憲法(日本国憲法)の信教自由の条項と矛盾確執を生ずるところとなるのである。国民全体のための神社であるとする靖国神社の国営化問題は個々人の信教の自由を抹殺する神社側の共同体意識の露骨な現われである。神社神道による地鎮祭を公共団体が主催することは正に右の誤れる共同体意識の発露に外ならない(甲第五四号証の一岩波新書村上重良著「国家神道」一〜一一頁参照)。

以上述べたところからわかるように神社神道は発生の機序やその本質からして国や公共団体など共同体と結びつきやすい性質を有しているのであつて近代憲法の定める信教の自由や政教分離の原則に関してはもつともその侵害の可能性の大きい危険な面をもつているといわなければならない。次に国家神道による人権侵害の歴史的事実を明らかにし、近時における国家神道復活の動向を指摘しよう。

二、戦前戦中の国家神道による人権侵害

1 国家神道の成立

明治維新の際、維新政府は神権天皇制をもつて政治の根幹とし宗教的イデオロギー面においては、神権天皇制にもつとも相応し結びつきやすい神社神道、宮中神道を事実上国教化した。これは明治四年発布された三条の教憲(第一条敬神愛国ノ旨ヲ体スベキ事、第二条天国人道ヲ明ラカニスベキ事、第三条皇上ヲ奉戴シ朝旨ヲ遵守スベキ事)によつて天皇崇拝と神社信仰を主軸とする神権天皇制の宗教的政治的イデオロギーの基本を示してこれを確立せしめた。ここに国家神道が成立し以後昭和二〇年の敗戦まで八〇年間国民にこれを強制しその信教の自由を侵害し軍国主義化の精神的背景を作つたのである。国家神道、公権力による侵害例は枚挙にいとまがない。

2 大本教に対する弾圧

大本教は大正一〇年と昭和一〇年の二回にわたつて政府から弾圧をうけた。とくに二回目の弾圧は治安維持法違反及び不敬罪の廉で教主出王口仁三郎等約三〇〇〇名の教職者・信者を大量検挙したのを初め神殿の破壊、墓の発堀、出版物の発禁処分等に及ぶもので近代宗教史上最大の弾圧であつた。

大本教は元来明治二五年出口ナオが神がかりして開教した習合神道系の創唱宗教で艮(うしとら)の金神による復古的農本的な「世の立替え立直し」を訴えて神政の理想世界「みろくの世」の実現を約束していたものである。この民衆救済の教義が、国家神道を基調とする神権天皇制国家の国体の教義とあい容れなかつたため、右の如き大弾圧を受けたものである。

3 ひとのみち教団(現PL教団)に対する弾圧

大本教の第二次弾圧のすぐあと昭和一一年ひとのみち教団が弾圧をうけ教主、幹部等多数が検挙された。ひとのみち教団は教育勅語を教典として実利的な小市民的道徳を説くむしろ国策に忠実な習合神道系の新宗教であつたが天照大神を太陽とし教育勅語に卑俗的な解釈を加えた等の理由で徹底的な弾圧を蒙つた。政府はたとえ国体の教義に従順な宗教であつても各宗教が国家神道の最高神について独自の解釈を加えることは天皇の宗教的権威を損うものとして絶対に許さなかつたのである。

4 日本キリスト教団第六部及び第九部に対する弾圧

日本キリスト教団は昭和一六年政府の直接間接の圧力によつて多数のプロテスタント系教派を合同して成立させられたものであつて、そのこと自体甚しい信教の自由の侵害であつたが、右教団の第六部及び第九部いわゆるホーリネス教会と呼ばれる宗派に対しては警察力による直接の弾圧であつた。すなわち昭和一七年六月二六日右第六部と第九部の主なる牧師一〇六名は治安維持法違反によりいつせいに検挙されそのうちほとんどが起訴された。ここで注目しなければならないことは、なぜキリスト教団の他の部(宗派)は直接の弾圧をうけずホーリネス教会だけ弾圧をうけたかということである。ホーリネス教会は神権天皇制・国家神道下において現人神とされた天皇より彼らの信仰するキリストの方が主権者であることを明言し、当時国民はだれでも強制されていた神社参拝を自己の信仰に矛盾する偶像崇拝であるとして断然これを拒否し、また当時国民が皆神棚に祭つていた伊勢神宮の分身の性格をもつ大麻を一切うけないとの態度を明確にしていたのである。さらに近所の氏神様の祭には参加せず、教会の前に町内の神社のお祭のおしめが張られるとこれを切つて捨てるという厳しい態度を示していたのである。

このようにみてくると同教会が元来保守的信仰をもつもので政治的に活動するような傾向の全くなかつたことから考え、政府の弾圧の理由は、同教会が国家神道を拒否する純粋な態度をとつたことにあると断定せざるを得ないのである。

三、戦後の神社神道の国家神道化の動向

八〇年間猛威を振つた国家神道は敗戦後昭和二〇年一二月一五日いわゆる神道指令すなわち「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保障、支援、保全監督並ビニ弘布ノ廃止ニ関スル件」(連合国軍最高司令官総司令部参謀副官発第三号日本政府ニ対スル覚書)が発せられ、国家と神社神道の完全な分離が命ぜられ、ここに国家神道は廃止され徹底的な政教分離の実施が行われた。この原則は昭和二二年五月三日施行された日本国憲法に引きつがれて二〇条、八九条として明文化され爾後神社神道は公的機関との関連をもたない民間の一宗教として存続することとなつたのである。

このように敗戦直後は神道と国家との結びつきは完全に断ち切られたかにみえたのであるが、講和条約発効の昭和二七年ごろからいわゆる逆コースの風潮に乗じ国家神道の復活が神社本庁の指導層を初めとして反動勢力によつて公然と要求されるに至つた。講和の年の日本遺族厚生連盟(日本遺族会の前身)の靖国神社国営化の要望決議や伊勢神宮の式年遷宮を契機とする同神宮国営化の要求など、具体的な国教化の動きが始まつたのである。

昭和三三年皇太子の結婚式に当つて政府は宮中祭祀の神道儀礼である賢所大前の儀を政教分離の原則からすれば皇室の私的行事の範囲内に止めておくべきにかかわらずこれを国事とした。続いて昭和三五年池田首相は議員の質問に答えて伊勢神宮の神体八咫鏡(やたのかがみ)の所有権は皇室にあると回答し、伊勢神宮が皇室と特殊な関係にあるかの印象を与え同神宮国営化の動きに拍車をかけることになつた。

さらに昭和四二年「建国記念の日」の名称で紀元節が復活した。日本国憲法の下においては宗教はいかなる意味においても公的性格をもつていないはずであるのに神道の祭である紀元節が公的行事として復活したのである。さらにこの紀元節成立で力を得た国家神道促進者側は靖国神社の国営化の動きを活発化し昭和四四年以来毎年靖国神社(国営化)法案を国会に提出しその成立を期している。同法案は靖国神社から宗教的要素を取り除き特殊法人として内閣総理大臣の管理下において国費公費を支出するという趣旨で提出されたものであるが、靖国神社から宗教的要素を取り除くことが不可能であることは明らかであり、同法案は実際には一宗教団体である靖国神社の国営化を企図するものである。

思うに神社神道の戦前の失地回復、国教化への執拗な動きが時を追つて熾烈さを加えている情勢下において、神社神道の方式による儀式の挙行が憲法上の宗教的活動に当るか否か又それを公共団体が主催することが政教分離原則に背反しないか否かの本件訴訟における審判は、右にみてきたようなわが国における政教分離の原則を支える憲法事実に徴し慎重に判断されなければならない。原判決の如く本件の自然的表面的事実にのみ目を向け極めて通俗的な結論を導くことは、人権の番人である裁判所の採るべき態度ではないと考える。

第四本件の事実経過

一、当事者の地位

1 控訴人は、昭和一九年から今日に至るまで津市に居住する津市民であり、昭和三〇年津市議会議員に当選し、昭和四二年春まで三期一二年特別職地方公務員たる市議会議員の職にあつた。昭和四〇年一月、本件地鎮祭が行なわれ、これに要する費用が市の予算から支出された当時も市議会議員の地位にあつたわけである。

なお控訴人はいかなる宗教も信じていないものである。

2 被控訴人は昭和四〇年一月一四日、本件地鎮祭が行われた当時、津市長たる職にあつたもの。同人は後記のとおり本件地鎮祭を主催する同市の代表者として控訴人に対し、右地鎮祭に参加を求めた。また同人は後記のとおり、同市市長として右地鎮祭挙行のために要する予算を作成し、同市市議会に提案するとともに本件支出金につき支出命令を行つたものであり、右金員の支出責任者である。

二、津市と宗教行事

三重県津市は、人口一二万五〇〇〇人余、三重県の県庁所在地である。津市には、従来から、公共団体と宗教との結びつきを示す事例が少なくなかつた。例えば、市の功労者の市葬、議会葬は殆ど仏式或は神道式で行なわれ、市の霊柩車も仏式のものである。水源地には水神を祭るために市有地の中に神社を設けて市の費用で毎年水神祭を行ない市会議員も列席する。市が主催している競艇のため、競艇神社を設けてお祭をする。市役所の庁舎に火災よけとして秋葉山の神礼を掲げる等々がその例である。そして、橋の渡り初めや地鎮祭も神職を招いて儀式を行なう。本件の地鎮祭もその一例であつた。

三、本件地鎮祭までの経過

1 津市体育館建設予定地における地鎮祭挙行に要する費用は、昭和三九年一一月二八日に始まる定例市議会にかけられた。「議案第一〇六号、昭和三九年度津市一般会計補正予算」(第六号)の予算及び予算説明書によれば、第一〇款教育費、第六項保健体育費補正額二四万四〇〇〇円の第二目体育施設費二二万四〇〇〇円中、九節旅費五万円を除いた一一節需用費一七万四〇〇〇円に地鎮祭の費用も含まれる。一一月二八日の市議会においても市長は、体育施設費には、体育館の起工式経費と普通旅費が計上されている旨説明した。

右補正予算案は議会を通過し、市議会は一二月五日閉会した。

2 昭和四〇年一月七日、控訴人は被控訴人から、本件地鎮祭への招待状を受取り、以つて本件起工式への参加を求められた。同書状の内容は「津市体育館は着工のはこびとなり、一月一四日午前一〇時から津市船頭町の建設現場で起工式を行なうので臨席を賜わりたい」というもので、津市長角永清名義で津市議会議員関口精一宛、(招待状番号一四七、日付は一月六日)となつていた。また同書簡に津市教育委員会社会教育課宛の出欠回答用の葉書が同封されていた。

3 かねてから、市と特定宗教との結びつきに疑問をもつていた控訴人は、一月九日、津市教育委員会に赴き、社会教育課の金子友雄課長及び墨谷主任に対し体育館の起工式とはどのようなことをするのか説明を求めたところ、同人らは式次第の印刷物を呈示した。これによると同起工式は、修祓にはじまり、降神の儀、献饌、祝詞奏上、清祓の儀、刈初めの儀、鍬入れの儀、玉串奉奠、撤饌、を経て昇神の儀で終るもので、神道にのつとつた地鎮祭であることが明らかとなつた。

4 また、同委員会管理課の野田義通課長は、「一七万四千円の予算をもらつたが、起工式のため神職に四、〇〇〇円、供物代などに二、〇〇〇円程を払う」旨控訴人に対し明らかにした。

5 控訴人は、津市が神道による体育館の地鎮祭を行なうことは、憲法に反すると考え、一月一一日、津地方裁判所に対し、地鎮祭のうち宗教行事部分の取消と、執行停止を求めたが、執行停止の申立てについては、地鎮祭の前日である一月一三日、却下された。理由は、本件地鎮祭は慣例に基づき主催者たる津市が私の儀式として行なうものであつて、これに参加するか否かは、参加者の自由である、差止め訴訟は許されず、したがつて執行停止申立ても失当であるというにある。憲法二〇条三項の宗教活動にあたるか否かの判断はなかつた。また、そういう「私の儀式」の意味も明らかでない。

6 控訴人は、当時市民から選出された市議会議員であり、地鎮祭への招待は市長から市議会議員たる控訴人になされている。それ故控訴人は自分自身はいかなる宗教も信じていないうえ、右地鎮祭を市が主催することは憲法違反であると確信していたにも拘らず、職員たる職責上、これに参加せざるを得ない立場に追込まれた。

四、地鎮祭の挙行

1 一月一四日午前一〇時前、控訴人は、地鎮祭の行われる市体育館予定地へ行くと入口に津市体育館起工式々場との看板が掲示されていた。参加者は先ず式場入口に設けられた受付の係員市職員に対し先に郵送されてきた前記招待状を呈示して、参加者名簿に出席した旨チェックされた。次に参加者各自は、市職員が奉書で柄をまき水引をかけたひしやくで水をかけ、身を清める「手水の儀」を受けた。

2 会場には天幕が二つ張られ、手前の天幕には参列者用の椅子が並べられ、奥の天幕は紅白の幕で囲まれ、神道に則りしめなわが四方にはりめぐされていた。奥には白木の机の祭壇があり、三方の上に神酒を入れた白い壺、供物がのせてあつた。その背景には、榊の木も設けられている。祭壇に向つて左側に盛土があり、枯草を植え、更に左手前には、式次第として地鎮祭の順序を書いた看板が掲げられていた。

大市神社宮司宮崎吉修以下四名はいずれも神職としての式服(衣冠束帯)を着用して出席し、それぞれの役をつとめた。また、参加者は、約一五〇名。主催者である津市の市長、助役をはじめ、市議会議長、市議会議員25.6人、来賓として県知事、副知事、県議会議長、地元県議員も参加した。その他、教育委員、商工会議所会頭、副会頭、自治会連合会長、建設業者の責任者、婦人会役員なども参加した。

地鎮祭の進行は市職員である社会教育課文化体育係長の伊藤義春がつとめた。

3 地鎮祭は午前一〇時すぎから次のように行なわれた。

司会者、起立の号令

修祓――神職一名が一同の前に進み出て榊の枝をふる。参列者をきよめる趣旨である。参列者は軽く頭を下げている。

降神の儀――神職一名が祭壇の前へ出て、何回かうやうやしくおじぎをする。祭壇の奥の榊に神々を招く意味である。

献饌――神職二名が祭壇の前へ出て、一人は三方を持ち、一人は榊を振る。神々に酒、野菜、食物を供える儀式である。

祝詞奏上――神職が祭壇に向つて祝詞を読みあげる。神々に対し土地のきよめと、工事の安全を祈るわけである。

清祓の儀――神職が参列者に向つて榊をふり、順次天幕の四隅を同様にして清めて行く儀式。

刈初めの儀――市長が、祭壇に向つて左手の盛土の上に植えてある枯草を刈る動作をする。荒地を切り開く儀式である。

鍬入れの儀――建設業者代表が前記盛土に鍬を入れる。荒れた土地を平にする儀式である。

玉串奉奠――市長、市議会議長などが順次祭壇の前へ進み出て、神職から渡された榊の枝を置いて拍手を打ち、礼をして帰る。

撤饌――供えた食物や酒を下げる儀式。

昇神の儀――神々に天へ帰ってもらう儀式。一同拝礼して地鎮祭を終える。一〇時四五分ころである。司会者が案内して隣の祝賀会用の天幕へ行つて食事。

4 この間控訴人は、地方公共団体である市が神道によるこのような地鎮祭を行なうのは憲法違反であるとの気持から憤概にたえず、このような行事は市民を侮辱するものであるとの気持を強く抱いていた。また参列者の中には神道以外の仏教、天理教、キリスト教、創価学会、などの信者も無神論者もいたと思うが、それらの参列者はどんな気持であろうか、と考えた。そして控訴人は無神論者であるから、本来ならこのような宗教儀式に参加したくないのであるが、前記の如く地元の市議会議員としてこれに参加せざるを得ない立場に立たされているため、特に強い侮辱を感じていた。

五、監査請求

1 起工式は予定通り行なわれたが、控訴人は、公共団体の行なう地鎮祭に公金を支出することは違法であると考え、同年同月一七・八日ごろ津市監査委員に対し、地方自治法二四二条一項にもとづき監査を求めた。

監査委員は同年三月一日、監査結果を控訴人に通知した。その内容は、昭和三九年度一般会計補正予算第六号、第一〇款教育費、第六項保健体育費、第二目体育施設費、第一一節需用費のうち消耗品費の中に神職の労務費、祭具の借賃など費目の性質の異なるものを一括して供物料としているのは妥当でなく、予算の科目替をすべきである、としたが、そのほかの点は、控訴人の主張をすべて斥けるものであつた。

三月一一日の定例市議会では、市側は神職に対して支払う金額四、〇〇〇円は第一一節需用費から除外して第八節報償費として組替え市議会の了解を得た。その後、神職に対し四〇〇〇円、供物代三、六六六三円が市から支出された。

右金員の支出に関する契約締結及びその履行は津市事務専決規程(昭和三七年九月二〇日訓令第一号)第五条(二)イ、エ、ケによれば、部長の専決事項である。ここに「専決」とは行政法上、補助機関が本来の権限ある行政機関に常時代つて内部的に決裁することに過ぎず(内部委任)、支出につき、市長の権限を一切委譲する(外部委任)ものではないから本件支出につき市長はその責任を免れるものではない。

2 監査結果では、市が地鎮祭を行つたことの違憲違法性従つて本件公金支出の違法性も看過された。

かくて控訴人は、同年三月三一日、本件住民訴訟を津地方裁判所に提起した。

六、本訴提起後の津市における“政教分離”他

控訴人の監査請求、本件住民訴訟提起の後、津市における市と特定宗教との関係をみるに、競艇神社は廃止され、秋葉山の守礼は庁舎から除去され、水源地の水神の祭に市の費用で神職を呼ぶことも取止め地元有志が主催するように改め、市有の霊柩車も宗教色を除き、送迎用普通自動車を当て、市葬、市議会も無宗教で行なわれ、故人の写真を飾つて菊花で埋め、参列者は花を一輪づつ献花することとなつた。

これらの事実は津市における本件地鎮祭の挙行及び本件公金支出の違憲・違法性を示す証左でもある。

第五本件公金の支出は憲法二〇条に違背する。

本件公金の支出は憲法二〇条三項及び一項に違背する違憲・違法な支出である。以下その理由を詳論する。

一、地鎮祭は習俗的行事ではない。

原判決は、本件地鎮祭について、宗教的要素のない習俗的行事であるとしてその明らかな宗教行為性を否定している。

控訴人は以下述べる理由で右判示に不満である。

1 神社神道の宗教性

本件起工式は神社神道が定める一定の式次第に則つて挙行されたものである。しかして神社神道は宗教であるから、これによる起工式が宗教的儀式であることは極めて明白である。

ちなみに神社神道が宗教であることは法律家及び宗教学者の間では全く通説と云つてよい(例えば宗教学者では故岸本英夫東大教授・小口偉一元東大東洋文化研究所長、憲法学者では宮沢俊義・小林直樹等)。宗教というものが何であるかについては各種各様の定義があるが一般に広く用いられかつ妥当とされているのは「人間を越えたもの、即ち霊あるいは神というものの存在を信じ尊崇の念をもつこと」である。

宗教の要件は霊的存在を信ずる現象ということで必要十分なはずである。一部には神社神道は、(一)教祖がいない、(二)体系化された教義が確立していない、(三)教典がない、(四)信仰対象が唯一絶対の存在ではない、(五)単なる自然崇拝である、(六)純粋の宗教現象でない政治、文化、道徳を含んでいる、(七)国家性が本質である等の理由でその宗教性を否定する向きがある。しかしこれはいずれも理由のないことである。(一)ないし(三)については前述のとおり原始宗教はすべて創始者もなく体系化された教義やまして教典などがないのが通例であり、原始宗教の体質を強く保持している神社神道がそれに当ることは当然の事理であつて宗教でないとの根拠にはならない。又(四)はキリスト教のように唯一神の場合以外は汎神論的信仰対象が生ずるのが当然であり、(五)はまさに単純な意味での霊的存在を信仰対象としていることを示す以外の何物でもない。さらに(六)についていえば宗教がその周辺的な領域である道徳や文化ひいて政治の分野にまで影響力を及ぼし価値内容としたとしても、それに完全に転化されない限り、依然として宗教の本来の実質は残置されるのである。又(七)についてはまさに民族宗教の共同体性を強調した意見であつてそれが宗教でない根拠にはならない。せいぜい世界宗教ではないとの理由になるだけである。以上いずれの点も神社神道が宗教ではないとの理由にならない。

神社神道の宗教性については右のような理論上の言及よりも我国における歴史的事実を直視することが必要適切である。現実に神社神道が宗教であると観念されるからこそ戦前戦中多くのキリスト者などが厳しい弾圧のなかで神社への拝礼や忠誠を拒否したのであるし又、だからこそ現在靖国神社国営化法案に神社神道以外のほとんど全部の宗教が反対しているのである。これらの生の事実は神社神道が宗教であることの証左である。

2 地鎮祭と「土地神信仰」

原判決は次のとおり判示する。即ち「我が国においては近代的宗教(開祖が明確で教義が体系的なものを指す。)が成立する以前においてきわめて素朴な民族宗教つまり原始信仰が存し、原始信仰には自然崇拝と精霊信仰とがあり、自然崇拝の中に土地神信仰(いわゆる産土神信仰、屋敷神信仰等)が含まれていた。そしてこれら原始信仰はやがて近代的宗教の成立展開によつて表面上はその影を没したかに見えるけれどもいまだ完全に影を没し切つたわけではなく、習俗化された諸行事の中にその痕跡を発見する例が屡々存在するのであり、地鎮祭はその好い例であると講学上説かれており、(これは地鎮祭を含めて広く我が国に古来から行なわれてきた習俗的行事の発生の由来ないしその実態を専ら研究対象とする学問(民俗学)上通説とされている)、当裁判所も右の見解は正しいものと考える。そして右見解に従つて考えを進めると地鎮祭の発生原因となつたこのような原始信仰は永い年月の間に近代的宗教の成立発展につれて我が国民の底に沈澱し、自然崇拝に起因する地鎮祭の行事・儀式だけが永年に亘り続けられるに従い漸次本来の信仰的要素を失い、形式だけが慣行として存続されているうちにいつしか地鎮祭は何らの宗教的意識を伴うことなしに、ただ建築の着工にはそれをやらなければ形がととのはないと云つた意味での習俗的行事として一般の国民が考えるようになつてきたものと云えよう」。

右にみる原判決の見解は、「民族宗教つまり原始信仰」とする点において、宗教学上の分類方法を理解しないものであるが、その点はさておくとしても、以下明らかにするように宗教の生成発展の歴史的事実を無視したところの、観念的な独断であつて民俗学上の通説とも全く相容れないものである。

まず第一に「自然崇拝の中に産土神信仰が含まれていた」というのは誤りである。産土神信仰は自然崇拝と直接に結びつくものではなく、原始信仰から更に発展した歴史的段階においてはじめてその形成をみることができる。山水木石などの自然物を信仰の対象とされるのであるが、次第に自然物とそこに潜んでいると考えられるに至つた霊の存在とが区別され、信仰の対象は自然物から霊へと移行した。さらに発展すると、自然物の奥にひそむ霊の観念は発達して神の観念となり、土地については産土神等の神が意識された。ここに至つて原始信仰は次第に宗教としての形を整え、原始信仰の域を脱することになる。このように日本の古代における宗教の発生は、原始信仰から始つて、神道の原初的なものが形成されるのであるが、産土神とは、特定の土地の守護神という宗教的内容をもつており、かなり発達した宗教的観念である。たしかに産土神信仰は原始信仰における自然崇拝にその基礎をおいてはいるが、原判決のいうように産土神信仰即ち自然崇拝と考えるのは、大きな誤りである。正確に云えば、産土神信仰は原始信仰の自然崇拝より発達した精霊信仰における霊の観念を直接の基礎とし、初期神道においてはじめて形成をみるに至つた神の観念の一つである。第二にこのように形成せられた土地神の観念は、その後、原判決のいう近代的宗教の成立し発展してきた今日においても、神社神道の中に脈打つているのであり、原判決の地鎮祭習俗論はこの点の認識を欠いていると云わなければならない。即ち原判決は「自然崇拝における産土神信仰」は近代的宗教の成立展開により表面上その影を没し、習俗化された行事の中にのみその痕跡をみることができるとする前提から、地鎮祭が行なわれるのは宗教的信仰心も宗教的意議もなしに、その儀式の外形だけが慣行ないしは習俗として残つているのだとする。従つて地鎮祭は土地の神に対して工事の安全無事を祈念する宗教的信仰心から出る行為ではなく、「建築の着工にはそれをやらなければ形がととのはない」とする理由から為されるところの、極めて形式的な、内容のない、空疎な儀式であるという、まことに奇妙な結論に到達してしまうのである。つまり、近代的宗教には、土地神の観念は存在しないとすることから、現代において現実に為されている地鎮祭に宗教的性格のあることをはつきりと否定し、産土神の存在も、これに対する信仰心もない、全くの無宗教的な行為として地鎮祭を描き出すのである。原判決のいう「近代的宗教」とは具体的に何を指し、「近代的宗教」の成立した時期が何時であるかは判文上からは定かではない。しかし原判決の右見解は地鎮祭の否定できない宗教的性格を故意に無視したか、あるいは事実をまつたく調査しないで導き出されたものというの他はない。

古来より神道においては地祭、地勧請、鎮祭、又は単に鎮、鎮地と呼ばれる儀式があり、平安時代末頃より地鎮祭の呼称が固定し現在に至つている。これらは、その祭神を大地盤を司る大地主神と、当該土地の神であるところの産土神の二神とし、榊を立て降神式を行ない、神饌を供し、祝詞を奏上し、鎌を執つて草刈りの行事を行なう等してその土地の安定と工事の安全を祭神に祈念するものであつた。そして本件地鎮祭も産土神、大地主神に対し工事の安全を願い、神の加護あることを願つて為したものである。本件においても、神職である宮崎吉脩は右祭神を招いて工事の安全と完成後の発展を祈り、且つ地鎮祭を行えば神の加護のあることを確信して本儀式を厳粛に行つた。

要するに地鎮祭は、宗教的信仰心の表現であり、産土神に対する信心の発露としてまさしく宗教的行為そのものである。それは宗教的内容の捨て去られた、形だけの、単なる儀式に土地神信仰の影が痕跡として残存しているといつた、非宗教的性質のものではなく、信仰者の心からの宗教信仰の外部表現そのものである。

3 神社神道における「祭祀」の意義

原判決の地鎮祭習俗論は、神社神道における「祭祀」の意義を理解しないものである。

地鎮祭は神社神道における祭祀の主要なものの一つである(地鎮祭が雑祭(クサグサの祭の意)の中心たる祭であることについては甲第一号証平岡好文著「雑祭式典範」中の緒言2頁宮西惟助序2頁参照)。祭祀とは、神社神道にあつては、「神を祭ることであり、おのれの崇め敬う神に対し行なう行為」である。神道において祭祀には最も重大な意義が存し、神観も教義も、その中に伝来し継承されるものだから古来の神道書これに触れないものはなく、神史研究においては特に重要な部門であつた。さらに右著書の一あとがき」において著者は再びこれを確認し、「神社神道は特に祭祀を重んずる宗教である。神社の宗教的活動は祭りの営みにあると云つてもよいくらいである」とさえ論じている(同号証一七九頁)。右「祭祀概論」は神社本庁の依頼を受けた文学博士西角正慶が著わしたもので、神社新報社から出版されており、正式の神道教科書として権威あるものであることを注意しておく必要がある。同じく神社新報社発行に係る神職養成学校で使用する教科書「神道教化概説」(甲第五号証)は次のように云う。

「神社はもともと祭祀を行なうため造られた施設であつて、祭祀が神社にとつて第一義的意味をもつ。」「祭祀は神社神道における神恩感謝の手ぶりであり、信仰表明の最も純粋なる形式である。従つて祭祀は神社神道信仰が最高度に表明され、集中的に表現されるものであつて、神道信仰の最も深い態度が打出されている。」「まつりの最奥の意義は、神と一体となること、即ち神に帰一し、神意に随順することにある」(七〜八頁)。

次に小野祖教鑑定人の著書「神道の展望及び分析」(甲第六号証)をみてみよう。「まつりに於いて最も大切な事は、まつらるる神とまつる者との魂の一致でなければならない。まつる者の心が神の御心、神慮と一致し、神慮に叶う行為、生活が営まれてはじめて、神の納受と神の祝福とを期待しうるのであり、神明神慮が行なわれるというべきである。このような精神の問題を考えずに神の祝福を期待しうると考えるのは、神道のまつりを呪術の域に堕すものに他ならない」(一二一頁)。

神の祝福がえられるのは、まつる者がまつられる神と魂を合一するということによつてはじめて可能となるという右指摘はまつりの宗教的性格を直截に明らかに示している。これによつても地鎮祭を宗教的色彩のない習俗であるとする考えが途方もない間違いであることははつきりしている。地鎮祭が神道におけるまつりの一つであり、その持つ意味と宗教的内容が前記のとおりである以上、地鎮祭の宗教性を否定する余地は全くないと云わなければならない。

4 地鎮祭は神社神道における「宗教活動」である。

原判決は、地鎮祭は神社神道の布教宣伝を目的とする宗教的活動ではない旨判示し、地鎮祭習俗論の根拠としているかのようである。しかし乍ら「宗教上の儀式」と布教宣伝を目的とする「宗教的活動」とは区別し得べき性質のものではない。就中、神社神道は前項に述べた如く「祭祀」中心の宗教であり、地鎮祭などの「祭祀」をとり行なうことは、外ならず、神社神道の教化活動、即ち、原判決のいうところの「宗教的活動」を行なうことなのであつて、原判決はこの点の理解を欠いたものであり甚しく不当である。

本来宗教的儀式・行事はこれを行なうことによつて参列者に宗教的感化を及ぼす性格をもつており、地鎮祭もその例外ではない。先にあげた「神道教化概説」(甲第五号証)は祭りのもつ教化的、宣伝的意義をまことに率直に語つている。即ち、その「はしがき」によれば、「教化活動」とは「神社神道の宣布活動及びそれにつながる教育活動、社会福祉活動など一切の対社会的行動を指す」ものとされている。そして祭祀と教化活動、つまり布教宣伝活動との関係について次のように述べている。「教化活動は第二のまつりであり、まつりの精神の社会的展開ということができる」「教化活動はまつりに始まりまつりに終るとも云うことができる。祭祀をおろそかにしての教化活動は神社神道において無意味である。神社を今日に伝えたものはまつりである。神社神道にとつてこのまつりの手ぶりは所謂沈黙の雄弁であり、最も偉大なる説教である」(九頁)。

右が著者の個人的見解にすぎないものではなく神社神道の包括団体である神社本庁の考え方と一致していることは右著書が神職養成学校の教科書として使用されていることから明らかである。のみならず「儀式」というものが一般に右の如き性質のものであることは菅野証言からも明らかである。「口でお説教するだけが私共の布教だということではなく、例えば私がここに立つている姿を見ても、さすが衣を着た人間だなあと思えるようにしろと云われるのが、私共の常日頃教えられたことで、ましてや地鎮式、起工式においては、なおのことその席に臨んだ人々もその僧侶の姿に打たれてまた帰依する人も現われる。現に私が数年前ある地鎮式に招かれた時、そのことに感激されて以来、私共の信徒になつた例もあり、私共はむしろ布教の対象とするのは式に列席された無信者に対して法華経とはかくも有難いものだと知らしめるのが、ねらいです」「地鎮式に限らず葬式その他の法要についても同様です」というのである。宗派の違いに拘らず期せず一致していて大層興味深いがいずれも正鵠を得ている。

原判決の前記判示に添う被控訴人側の鑑定人小野祖教は、儀式・行事をより積極的な宗教的活動から区別する立場に立ち、本件地鎮祭において神道の教義の宣伝を事実として行つたかどうかを問い、現実に儀式が教義の宣伝を行なつたことが明らかな場合に限つて、政教分離の原則の適用を受ける、即ち国家はこれを主催してはならない、とし、右以外は国家が儀式を行なうことは憲法二〇条三項に抵触しないというのである。また同人は、神職に依頼した市が地鎮祭を主催するについて、宗教的活動を為そうとする意図があつたか否かを問い、これがないときには、政教分離の法理はその適用がないと主張する。しかし、右のように解するとすれば、政教分離の憲法上の原則を事実上なしくずしにしてしまうことになる。即ち、儀式は単に形式的な行為にすぎず、教義の宣伝はその意図するところでないとし、あるいは、依頼者たる国家は何ら教化・宣伝の目的に出たものではないとすることによつて、神道と国家との結びつきを大つぴらに認めてしまうからである。前述のように儀式、殊に神道のまつりはそれ自体独自の教化作用を営むことを忘れてはならない。

控訴人は、裁判所が職権により鑑定意見を徴した和歌森鑑定人の、次の供述を援用する。それによれば「特に神社神道のような集団的な信仰としての宗教においては、実践(儀式)を通じて参列者全体にある特殊な、つまり世俗的なものから超越した聖なる雰囲気に飛躍するというか、そこにひたるようになることはやはり宗教化するという意味において非常に大事なことである。神社神道においては何か特別に個人向けにこういうことを懺悔してとか自覚においてとかあえて説法しない。そういうものとは違つた意味での実践的布教といいますか、儀式における行動を通じての布教ということをしておる」わけである。

更に前記神職養成学校の教科書「神道教化概説」(甲第五号証)の次の記述を控訴人は特に援用したい。「神社神道にとつてまつりの手ぶりは所謂沈黙の雄弁であり、最も偉大な説教である。」

要するに神社神道における主要な「宗教的活動」は、地鎮祭などの「祭祀」をとり行なうことなのである。原判決はこの点の理解を欠いている。

5 原判決の地鎮祭習俗論は歴史的事実の誤認に基づくものである。

神社神道は日本民族の古来二〇〇〇年にわたる国民的宗教のように云われているが、神社神道がそのようなものとして受けとられそういう地位をえたのは、明治政府の意図的な神道教化政策の結果である。原判決が若し神社神道を以つてわが国古来二〇〇〇年にわたる国民的宗教のように錯覚し、神社神道による地鎮祭をわが国古来の慣行であるかのように判示したとすれば、右判示は著しい事実誤認を犯していると云わなければならない。

世上、次に述べるように、神道以外の宗教宗派の方式による地鎮祭・起工式等も存するのであるが、神道式による地鎮祭の祭式は江戸時代に規定され、明治以降の国家神道のもとで形式を整えられ、国民教化の運動の一環として国家と神社の密接な結びつきのもとに意図的に広められるのに至つたに過ぎない。しかして敗戦による国家神道の解体は、神道による国民の精神的束縛を解き放し、国民に信教の自由を保障することとなり、神道以外の宗教による宗教活動を活溌化せしめ、神道以外の宗教による地鎮祭・起工式等も広く行なわれるようになつているのである。このような事実に加え、宗教民俗学者和歌森鑑定人が、神道式地鎮祭が今日全然宗教的意識を伴うことなく行なわれているとは到底いえない、それは民俗学上の概念である習俗には当らない旨述べていることにも留意すべきである。

原判決は神道式の地鎮祭(起工式)のみが国民の間に広く慣行として定着しているように判示する。確かに土木・建築等の工事を行なうに当つては、地鎮祭・起工式などの名称のものとに工事の安全を願う儀式が広く行なわれてはいる。しかし地鎮祭・起工式等が総て神道式により行なわれているものではなく、神道以外の他の宗教・宗派はその独自の仕方でこの種の儀式を行なつているのである。原判決はこの点でも事実を誤認していると考えられる。

即ち原判決のいう近代的宗教である仏教宗派の殆んど総てが「地鎮式」を行ない特に真言宗はこれを重視している。日蓮宗にあつては地鎮式・起工式と呼ばれる儀式があり、天神地神の来臨を乞い工事の安全無事、家の永久の繁栄と仏法の発展を祈願する儀式があり、盛んに行なわれている。またこれも原判決の「近代的宗教」に該ること明らかなキリスト教では、仏教や神道における土地の神という観念こそないが、プロテスタント(新教)カトリック(旧教)を問わず造物主である神に対して工事の安全無事を願い、工事が計画通り完成することを祈願して、神道の地鎮祭にあたる起工式を行なつている。

このように原判決のいう近代的宗教は工事を開始するにあたつては、起工式、地鎮祭、地鎮式等のさまざまな名称のもとに、神的存在に対して工事の安全無事を願つて儀式を行なつているのであり、これは各宗教、各宗派に殆んど共通してみられる現象である。もつとも各宗教、各宗派によつて祈願の対象としての神と式の内容、式次第に差異のあるのは勿論であるが、その儀式の宗教性は普遍的である。原判決が神道式の地鎮祭のみをわが国古来の慣行としているとすれば事実誤認も甚しい。地鎮祭が若し何らかの意味で習俗と呼ばれるとすればこれら神道、仏教、キリスト教など各宗教が行なう地鎮祭の総体を宗教上の習俗と云うことが出来よう。神道地鎮祭はせいぜいのところ右の宗教上の習俗の一部分を構成するにすぎない。我々は右の趣旨でそれが宗教上の習俗の範疇に属することを否定しはしないが、原判決のいう宗教的要素の欠除した非宗教的習俗とする見解には到底納得できない。ましてや、地鎮祭・起工式のうち神道によるもののみが習俗とみることは全く不当である。

6 地鎮祭が習俗的行事か否かのメルクマール

原判決は本件地鎮祭を習俗的行為とみる根拠の一つとして、これを主催した津市市長被接訴人もこれに参加した殆んどの人々も地鎮祭を以つて宗教的行為とは考えていないという。

しかし、社会意識が地鎮祭を以つて非宗教的行為ないし習俗的行事とみているという見解は社会意識なるものの実証的究明を怠つたものであり独断である。

右の見解は神道による地鎮祭は、仏教による葬式、神前結婚式と同じく社会的慣行として行なわれ、これに参列するのに不愉快な感や違和感を抱くことのないのと同様に人々は地鎮祭に参列する場合にも何ら心に抵抗を感じていないとして、地鎮祭が神道に結びつくことのない非宗教的な習俗として国民に定着していると主張する。しかし前にみたように日本人は仏教を主な宗教として、キリスト教、神道その他多くの宗教を信仰しており、また何らの宗教も信仰していないものもある。そして信仰者はその信ずるところの宗教が定めた地鎮祭なり起工式なりを行ない、無信仰者は、これを行なわないのが普通である。従つてこのような様々の宗教宗派が存在し、他方には無神論者もあるから、神道の地鎮祭が何らの違和感をもつことなく人々の心に受け容れられているとみるのは誤りである。とくに国や地方公共団体が特定の宗教の行為をなすことを人々が何らの反撥や違和感、不愉快感を抱くことなく受け容れているというのであれば、それは神社神道の甚だしい思いあがりである。私人が行なう宗教的儀式行為に対しては、それが自己の信ずる宗教ではなくとも、結婚式、葬儀等にみられるように参加することにそれ程抵抗を感じない。しかし、宗教的儀式の主催者が私人ではなく国、地方公共団体であるときは全く事情が異なる。人は国や地方公共団体が特定の宗教に関与することに対して本来的に嫌悪し、不信感をもつのが普通である。渋川鑑定人の意見は私人が行なうものと権力が行なうものとを全く同一視していると云わざるを得ない。この点で原判決も同様の誤りを犯している。

さらに附言すれば、渋川鑑定人は、例えばクリスマス・ツリーに対する日本人の意識は、これを宗教的なものとみなさず、非宗教的習俗とみなしているとし、神道地鎮祭はあたかもクリスマス・ツリーと同様であると論断する。しかし、クリスマス・ツリーを立てることと地鎮祭を挙行することでは、その宗教的色彩は大いに異つていて、同列に論ずることはできない。クリスマス・ツリーのように、かつて宗教に関係したものでありながら今日では一般社会人によつて何ら宗教的意識を伴うことなく受け容れられているものがあることはそのとおりである。そのようないわば社会意識としても社会慣行としても宗教意識を伴わない非宗教的習俗と、地鎮祭のように宗教意識を伴うことが歴然としている宗教上の行為とは区別されなければならない。佐木・和歌森両鑑定人は、いずれも右区別の指標として次のことをあげている。

① 主宰者が宗教専門家であるかどうか。

② 作法の手順(式次第)を宗教界で認定したものに従つて行なつているのかどうか。

思うに当該儀式が信仰心の表現行為であるかどうかの判断は、その儀式の外形によつてなされなければならないのであつて、儀式の挙行者の内心の信仰心の有無や程度の如何によつて左右されてはならない。蓋し内心の意思の有無を判断するとすれば、意思が存在したか否かは個別具体的に決すべきことになろうが、内心における宗教意識の有無の判断は困難である。我々は信仰心の表現とみることが客観的にもつともだと考えることができるところの外部的行為があつた以上、それを宗教心から出た宗教行為と判断しなければならないのである。

従つて当該行為が前記①②の指標に合致する以上、右行為に参与する個々人の主観的意思、即ち宗教的意識を問うまでもなく、当該行為を以つて宗教的行為と解するのが妥当である。

しかして本件地鎮祭は、マメマキなどの行事と異り①その主宰者は常に宗教専門家である神職であり、②その式次第は神道において認定されたところにより行なわれている(甲第七号証の一及び二「諸祭式要綱」参照)。

従つて神道式による地鎮祭を、原判決のように非宗教的な習俗的行事であるというふうに決めることはできない。

二、憲法二〇条三項違背

1 「宗教的活動」と「宗教上の儀式」の区別の当否

憲法二〇条三項は「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」とする。原判決は、本件地鎮祭は外見上「宗教的行事」に属するもその実態は、神道の布教宣伝を目的とする「宗教的活動」ではない旨判示する。

また被控訴人申請による鑑定人渋川謙一及び同小野祖教の意見によると同条二項の「宗教上の儀式」と同条三項の「宗教的活動」とを区別する。即ち憲法二〇条三項の「宗教的活動」(リリジアス・アクテイヴイテイ)は教義の宣伝や信者の教化育成などの積極的行為をさし、同条二項の「宗教上の儀式」(リリジアス・アクト)はそのような積極的な行為を伴わない、いわば消極的な行為をいうとする。しかして同鑑定意見は、神道による地鎮祭について、教義の宣伝等が行なわれず、単に一の儀式が行なわれるに過ぎないから、それは憲法二〇条三項の「宗教的活動」に該当しない旨、原判決の判示に沿う意見を述べた。

しかし乍ら「宗教上の儀式」と「宗教的活動」とを区別して解釈すべき合理的理由は見出し難い。思うに同条三項の「宗教教育その他いかなる宗教的活動」には、宗教教育以外の祈祷、礼拝、祝典、儀式、行事等要するに同条二項にいうところの「宗教上の行為」一切が含まれると考える。同条三項の「宗教的活動」を右の如く広く解すべきことは、前記第二の三1「制度的保障としての政教分離原則」の項で詳説したところの政教分離の原則の趣旨及び同項の「その他いかなる」という文言に照し自明であろう。

また前記第五34で述べたように「儀式」そのものの性質からしても、そこでは「お説教をするわけではないが、やはり人々の宗教心を揺り動かしその感化に役立つもの」であり、それは外ならず被控訴人側の鑑定意見がいうところの積極的な要素を帯有しているものなのである。

思うに「宗教上の行為」と「宗教的活動」とを区別する見解は全くの形式論理にすぎず、「宗教上の儀式」の名の下に国または地方公共団体と特定宗教との結びつきを許す結果を招き、政教分離の原則を潜脱しようとするものであり許されない。

原判決が右の被控訴人側の鑑定意見と同様の解釈を採用したものか否か明確ではないが、本件地鎮祭が宗教的行事に属するとしながら宗教的活動ではないと認定し、憲法二〇条三項に違背するものではないとするのであれば、原判決は同条項の解釈を誤つたものといわなければならない。

2 本件地鎮祭は憲法二〇条三項の「宗教的活動」に該当する。

本件地鎮祭は神道における「雑祭」の一であり、「宗教上の儀式」即ち「宗教的活動」に該当する。このことは既に前記「地鎮祭は神社神道における宗教的活動である」の項において詳説したとおりである。

なお本件地鎮祭を主宰した神職宮崎吉脩は宗教法人大市神社の代表役員であるが、同神社の設立の目的は次のとおりである。即ち「本神社は大市比売命を主神として一四柱を奉斉し公衆礼拝の施設を備え神社神道に従つて祭祀を行ない、祭神の神徳をひろめ本神社を崇敬する者及び神社神道を信奉する者を教化育成し社会の福祉に寄与しその他本神社の目的を達成するための財産管理その他の業務を行なう」本件地鎮祭が大市神社の右目的活動であることは明らかである。

3 「強制」の有無は政教分離の原則の要素ではない。

「宗教上の儀式」と「宗教的活動」とを区別する被控訴人側鑑定人小野祖教の意見によると、国または地方公共団体は国民の参加を強制しなければ「宗教上の儀式」を行なうことができるとする。

しかし乍ら政教分離の原則は前記第二の三2「政教分離の原則の独自性」の項で指摘した理由により、行政主体が宗教行為を行なうこと自体を禁止するのであるから、憲法二〇条三項違背を主張する者は「参加の強制」の有無を主張立証することを要しないと考える。この点で一九六二年のエンゲル対バイターレ事件(公立学校の教室での祈りの事件)の米国最高裁判所の判決を援用しよう。右事案では、教育委員会側はいやな生徒はお祈りの言葉に唱和しないでよいということになつていたことを挙げ、そこには何らの強制の要素はなかつたのであるから政教分離の原則違反にはならないと主張したが裁判所は、その主張を退けて政教分離の原則違反になるか否かの場合には、強制の要素があるかないかは全く問題にならないことを強調している。

4 「国及びその機関の意義」

憲法二〇条三項の主体は条文上「国及びその機関」であるが、「地方公共団体及びその機関」も右条項の主体であることは明らかである。蓋し憲法が第八章において、地方公共団体を地方行政についての公権力主体として認めている以上、公権力に対する人権の保護を定めた基本的人権に関する第三章の規定及びこれに関連する規定については当然国と同様公権力の主体である地方公共団体を含めて解釈すべきである(もしそのように解さなければ地方公共団体による人権侵害が認められることになり全く不合理である)。新井鑑定人は以上の趣旨から右の国に関する規定につき地方公共団体及びその機関にも包括的に準用されると鑑定したがまことに妥当である。

ちなみに憲法二〇条三項(一項後段についても同様)の「国及びその機関」の解釈については、「地方公共団体及びその機関」を含むと解するのが憲法学上の通説であり、ほとんど異説をみない。

三、憲法二〇条一項後段違背

憲法二〇条一項後段は、いかなる宗教団体も、地方公共団体(前記第五の二4参照)から特権を受けてはならないと宣言している。

ここにいう「特権」の中には、政治的経済的、社会的諸関係におけるあらゆる特別な利益が含まれるものと解する。蓋し、前記第二の三、2「政教分離原則の独自性」の項で述べたところの同原則の目的に照し当然の帰結である。

ところで宗教上の儀式としての起工式・上棟式などは、神社神道のいわゆる専売特許的なものでなく、仏教(特に真言宗はこれを重視している)及びキリスト教など他宗教・宗派の方式によつても、世上、広く行なわれていることは前記第五の一、5「原判決の地鎮祭習俗論は歴史的事実の誤認に基づくものである」の項で指摘したとおりである。しかして前記第五の二、2「本件地鎮祭は憲法二〇条三項の「宗教的活動に該当する」の項で明らかにしたように、右各宗教・宗派による起工式は、当該宗教団体の設立の目的である宗教活動・宗教の教化宣伝の機能を果すものである。

してみれば、地方公共団体が、その名において挙行する起工式を宗教団体(神社が宗教団体であることは前記第五の一1で述べた)の職員(宮司は神社の職員である。後記第六の二、1参照)に主宰させその費用を支出することは、社会的関係において、また後記第六の四で述べるような経済的関係において宗教団体に特権を附与することになるのであつて、憲法二〇条一項後段違背の謗りを免れない。本件支出金は右憲法の条項に反して挙行された起工式の費用として支出されたものであり違憲・違法な公金支出といわざるを得ない。

四、結論

右に述べた理由により、本件地鎮祭の挙行は憲法二〇条三項及び一項後段に違反し、また後に述べるとおり同条二項にも違反する違憲違法な行為である。従つて地方公共団体の公金の支出を制限する憲法八九条の適用をまつまでもなく、右宗教上の儀式のための本件公金支出は右各条項に違反する違法な支出といわなければならない。

第六本件公金支出は憲法八九条に違背する。

原判決は、本件地鎮祭を習俗的行事と解したうえ、支出金の額が少額であることを挙げ(供物青物代三六六三円、初穂料四〇〇〇円)、また特に神職に支出した初穂料四〇〇〇円は神職個人の役務に対する報酬の意味を有するに過ぎないと認定し、本件公金の支出は特定の宗教団体を援助するための支出とは云えないから、憲法八九条ないし地方自治法一三八条の二に抵触する違法な支出と目することは困難であると判示する。

本件地鎮祭を習俗的行事とする右判示が誤りであることは既に明らかにしたが、本件公金支出の性質決定に関する原判決の判断もまた誤りである。以下その理由を詳論する。

一、本件支出金の額及び性質と政教分離の原則

政教分離の原則は、前記第二の三、2「政教分離原則の独自性」の項で述べたように、国・公共団体が宗教行為を行なうこと自体を禁止する。しかして政教分離の原則に関する米国判例理論によれば「いかなる宗教上の活動または組織であれそれらが何とよばれようとも、またそれが宗教を教え実践するについていかなる形をとろうともこれをサポートするようななんらの租税も、また、それがいかなる額であつても徴収されてはならない」とされている。納税者の納める税金がその人の信じない、あるいは反対する宗教の維持発展のために使われることは自分の信じない宗教のために、税金をもぎとられるということであり、その人の宗教的自由に対する重大な侵害になることを強調した判例も存する。また公立学校の教室での聖書朗読事件(School Dist. of Abington Twp. v. Schempp.374 U. S. 203, 1963)におけるダグラス裁判官の補足意見は「州が教会に対し、その厳密な意味で宗教的な活動について財政支出しようと、他の活動について財政支出しようと、すべて同様に違憲である。組織は不可分の一体であり、それは、自らの信者以外のものの醵金によつて、そのどの部分に関して増強されようと、その布教ないし信者獲得活動において増強されることになるのだから」と述べている。要するに宗教的価値を、それを信ずる者の純粋に自発的な財政寄与の基礎の上にのみ認めようとするのであり、いかなる額、いかなる形における国家の援助に対しても潔癖に拒否反応を示すのが政教分離原則に関する米国の判例思想である。

わが国における政教分離原則は比較憲法的には米国憲法におけると同様の類型に属するものであり、右米国判例理論は日本国憲法の解釈にそのまま妥当するものと考える。

原判決は、本件支出金は、神職の労務に対する報酬だから政教分離の原則とは無関係である、額が少額であるから問題にならないかのように判示しているが、そのような公金支出の名目・形式や額の如何が問題なのではない。地方公共団体が自らの意思に基づいて、特定の宗派に依頼して、公有財産の上で市職員を勤務時間中に従事させて宗派的な宗教行為を行なわせたということが問題なのである。その結果支払われた金員がどんな少額であろうと、それが公金であることに変りないし、それが公金の支出であれば、右米国判例がいうように、納税者から、その信じないまたは反対する宗教のために税金を無理にとりたてるという効果をもつものであることは変りない。前記第二の三、1「制度的保障としての政教分離の原則」の項で述べたように同原則を宣言した憲法八九条は、同二〇条一項の信教の自由の制度的保障であることを想起すべきである。

二、本件初穂料は、神社に対して支払われたものと解すべきである。

本件初穂料四〇〇〇円は、神職個人に対して支払われたものではなく宗教団体である神社に対して支払われたものと解すべきである。

原判決は、本件初穂料四〇〇〇円は神職の役務に対する報酬の意味を有すると判示し、それは特定宗教団体に支払われたものではないとする模様である。しかし乍ら右判示は次の各事実に照し誤りである。

1 本件地鎮祭を主宰した宮崎吉脩の地位

津市が本件地鎮祭の主宰を依頼した宮崎吉脩は宗教法人大市神社(包括団体である宗教法人神社本庁に属する)の代表役員である。

ところが宗教法人「神社本庁」の内部の定めによると神社の代表役員には神社の職員(神職)の内最高の地位にある宮司が当ることとされている。これによると右宮崎は大市神社の代表役員であるとともに宮司である。

2 津市は、本件地鎮祭の主宰を、同市において最も社格の高い大市神社の宮司である宮崎吉脩に対して依頼したのであつて、宮崎個人に依頼したのではなかろう。このことは新井鑑定人が指摘するように「宮司というものが神社を基盤にしないで存在しうるかという疑問」を提起して考えれば自ら明らかである。従つて右地鎮祭の初穂料は事柄の性質上宮司(代表役員)である宮崎に支払われるべきものである。

3 一般に神饌料とか初穂料とかを払うとき、支払者個人が宮司個人に支払うものと認識すると否とを問わず、右金員は宗教法人である神社に帰属すると解すべきである。

(一) 宗教法人法も責任役員の個人的な宗教活動を予定していないし、また宗教法人の非課税措置に関する所得税法、法人税法或は地方税法(固定資産税)の規定も宮司個人が宗教活動をして収入を得るということを前提としていない。

(二) 神社本庁規程類集(甲第五二号証)八九頁「職員給与規程」によると、宮司はその等給により、一定額の給与を所属神社庁または神社において支給されることになつている。

また同集五二頁「神社財務規程」第八条及び五九頁の予決算科目一覧表によると「神饌料及び初穂料」は神社収入として計上される。

右事実を合せ考えると、初穂料は神社に支払われる性質のものであり、宮司個人の収入(給与)とは区別される建前になつていることが明らかであろう。この点で宗教法人法一八条の五項が代表役員の責任について「その保護、管理する財産については、いやしくもこれを他の目的に使用し、又は乱用しないようにしなければならない。」と規定されていることを注意しなければならない。初穂料など、神社活動から得た収入を宮司個人の収入とすることは責任役員である宮司が管理する財産を乱用することにもなるのである。

以上の諸点に照し本件初穂料は宮司個人に対してではなく「宗教上の団体」である宗教法人大市神社に対して支払われたと解するのが妥当である。

三、供物青物料(神饌料)の支払について

神道による地鎮祭では、供物をあげること自体が儀式の中の一つになつており、それは地鎮祭に必要不可欠なものである。従つてそれが現物で支給されたか金銭で支給されたかは問うことなく、これに要した費用は神社に対して支出されたものであり、神社の収入と解してよいと考える。この点で初穂料の支出と性格を異にするものではない。

四、本件支出金は、宗教団体の利益のための支出に当り憲法八九条に違背するものと解すべきである。

原判決は本件支出金は特定の宗教団体を援助するための支出とは云えないと判示する。また佐藤鑑定人は、憲法八九条が制限しているのは補助金・助成金という形での支出であるかのような意見を述べ、本件支出金について「神社の実際のことをよく知らない」旨前置きしながら、これを補助金・助成金とみることはできない旨の意見を述べた。しかし乍ら次の各事実に照し、本件公金の支出は憲法八九条に抵触するものと解するのが妥当である。

1 憲法八九条は「宗教上の組織若しくは団体」の「使用、便益若しくは維持」のための公金支出を制限する。思うに右文言中宗教上の「組織」と団体を区別し、また「使用、便益若しくは維持のため」という各語の個別的な意義を詮索するのは本文の正しい解釈とは云えないと考える。本条の趣旨は、宗教上の組織であろうと団体であろうと要するに公の財産を宗教に関係ある事業ないし活動に支出しまたは利用せしめてはならないのであつて「組織」と「団体」とを区別する実益はない。また「使用、便益、維持」のための支出というのも、要するに「宗教上の組織・団体の利益のための支出」というほどの意味をもつに過ぎないと解する。換言すれば「使用、便益若しくは維持」というのは「利益のための支出」の例示的表現方法であり、前出の「宗教上の組織若しくは団体」という表現とも軌を一にしているといえよう。本条の文言に関するこのような解釈は本条が政教分離の原則を宣言したものであり、憲法二〇条の信教の自由を補強するための原則的規定である事に立脚したものである。原則規定はその趣旨に反しない限り可及的に拡張解釈すべきであり、例外規定の如く余り厳格にこれを解釈すると、原則がくずされ、憲法の精神を生かすことができなくなるばかりか、脱法行為を許容することになりかねない。政教分離の原則を宣明した憲法の精神を生かすためには本条項の文理に余りとらわれてはならないと思う。

2 本件公金の支出は宗教団体に対する助成金・補助金ではないから本条に抵触しないとの意見は誤りである。神社は収益事業を行なわないのが建前であるから、神社財政は、本件の如き初穂料、神饌料というような金品の受領または賽銭、寄付金などにより維持されているのである。初穂料、神饌料の支出は、特に積極的な意味をもつものでないにせよ、宗教団体である神社の維持を主要の目的とするような支出の性格をもつものである。前記第六の二、3(二)で指摘したように初穂料・神饌料が神社予決算処理上神社収入として取扱われていることも、これらが神社の利益のための支出であることの一証左である。更に前記神社本庁規程類集三八頁「負担金賦課徴収規程」第四条九条によると、各神社は各都道府県にある神社庁に、各神社庁は神社の包括団体である宗教法人神社本庁へ、それぞれ負担金を上納しているのであつて、各神社は右負担金を神社収入から支出しているのである。また前記第六の二、3(三)で指摘したように宮司の給与は神社収入から支出される。これらの事実を合せ考えると初穂料・神饌料などは補助金や助成金という形をとるものではないが、やはり神社の利益のために支出される性質のものといえよう。なお右規定類集九頁「宗教法人神社本庁庁規」第四九条は神社本庁の経費は負担金から支弁する旨規定しており、全国各都道府県の神社から上納される負担金(神社収入)は神社の包括団体法人である宗教法人神社本庁の利益のために用いられているということになる点も看過できない。

五、結論

初穂料・神饌料(供物青物料)は右にみた如く、宮司個人に対してではなく、神社に対して、神社の利益のために支出されたものとみるべき性質のものである。また政教分離の原則は、要するに公金を宗教団体に支出し、以つて国、公共団体と宗教とが結びつくこと自体を禁止しているのであり、支出金額の多少は問題にならない。

以上の次第であるから本件支出金が憲法八九条に違背し違憲、違法に支出されたものであることは明らかである。

第七地鎮祭をめぐる行政実例等

一、被控訴人の援用する渋川鑑定意見は幣原喜重郎や尾崎咢堂の国会葬等の例をあげて国が宗教儀式をした先例とする。然し右鑑定意見はその後に行なわれた吉田茂の国葬が無宗教で行なわれた政教分離原則が明確にされた事例を故意に無視するものである。思うに葬儀のように故人の意思が問題とされる場合でさえも政教分離原則は厳守されなければならないのであり、ましてや地鎮祭、上棟式を国や公共団体が主催することは絶対に許されるべきではないと考える。また同鑑定人は行政実例は本件の如き地鎮祭を国・公共団体が主催してもよいとしているかのように述べたが、むしろ、行政実例は次のとおり、右鑑定意見とは反対の態度をとつている。

二、昭和二〇年一二月一五日GHQからいわゆる「神道指令」が発せられ、従来の国と神道との結びつきが、厳格かつ全面的に断ち切られた。右神道指令は第一項において、国家と神社神道の完全な分離を命じ、第二項は、神道を含むあらゆる宗教を国家から分離することを指示して、神社神道が今後は民間の一宗教として存続できることを明らかにした。神道指令の中心点は、国家神道の廃止を主眼とする徹底的な政教分離の実施にあつた。神社神道は、いろいろな形態で又、あらゆる部面において国と結びついていたから、国家神道を廃止するためには、一片の方針の指示だけでなく細かな具体的措置が必要であつた。そこで神道指令は、

神社神道に対する国家・官公吏の特別な保護監督の停止、公けの財政的援助の停止、神社主管官庁たる神祗院の廃止、神道的性格をもつ官公立学校(たとえば皇学館大学)の廃止、一般官公立学校における神道的教育の廃止、教科書からの神道的教材の削除、学校、役場等からの神棚等の神道的施設の除去、官公吏・一般国民が神道的行事に参加しない自由、役人の資格での神社参拝の廃止

等極めて具体的な各措置を明示したのである。

このような国家と神道との分離政策は、前述の政教分離の原則、信教自由の徹底という近代憲法の大原則からみて、又なかんづく日本において、戦前戦中において国教制のために、信教の自由を初めとする人権の侵害が甚しく、かつ、それが軍国主義日本を育成していつたという経緯にかんがみるとき、まことに適切かつ妥当な措置であつたといわなればならない。

このような厳格な政教分離原則は昭和二二年五月の日本国憲法施行によつて、憲法上裏打ちがなされ、恒久的に制度化されたのである。

以上のような政教分離政策は、政府の行政実例にも端的に表われた。今、神道式の儀式(たとえば、慰霊祭、公葬、地鎮祭)についてみると次のとおりである。

三、まず昭和二一年一一月一日発宗第五一号地方長官宛、内務文部両次官通達「地方公共団体は公葬その他の宗教的儀式及び行事はその対象の如何を問わず今後は挙行しない」とし、ただ僧侶、牧師等の参加なしに行なわれる、即ち宗教的儀式を伴わない殉職者の慰霊祭などを例外として挙げている。

さらに、昭和二三年二月一四日文部省宗務課長通牒地宗第一五号によると、国公立学校の校舎その他公の建造物の地鎮祭・上棟式・落成式などを、国またはその機関が主催することは避くべきであり、また、建築業者など民間人や民間団体が主催するこれらの儀式でも、公の建造物やその敷地で行なつたり、公務員が公の資格で参列して玉串をささげたり、公金から祭典費を支出してはならないとされた。要するに行政実例は政教分離原則の徹底という前記神道指令の方針に沿つているのである。尤も「公共建築物およびその敷地で行なう地鎮祭上棟祭等について民間の建築業者等が主催する場合、公金の支出や官公吏等が公的に参列することなど公的要素を導入することなく、当該事業者の責任において行なうのであればさしつかえない」としたものである(昭三四・五・六文部大臣官房宗教課長の都道府県教育局長宛回答)。しかしこの場合でも公金の支出や公務員の公的な参列は認めていないのであり、特に国や公共団体自らが主催する地鎮祭等は厳に禁止していることに変りはない。

その後、また、昭和二八年一一月九日自治庁行発第三一四号土浦市役所総務課長宛行政課長回答は「例年の市民の祭礼の際市長名で神饌幣帛料(金一〇〇〇円程度)を支出することは地方自治法旧第二三〇条に抵触する」とした。さらに市が主催し、各公共施設内(土地)において公共建築又はプール等の新設の際における神式による地鎮祭の合法性に関する奈良県総務部長からの問合せに対し自治庁行政課長は「設問の行事が宗教的活動として行なわれるものならばできない」旨回答している(昭三六・一一・二七自治庁行発第七二号)。

右にみてきたように行政実例は一貫して国や公共団体が地鎮祭の宗教的儀式・活動を主催することは政教分離の原則・信教の自由に反し違憲であるとの態度をとつているわけである。

四、前記渋川鑑定人は、また林元法制局長官が国会答弁で「起工式等も既に日本の古来の習俗ということになつている」旨述べた事実を援用し、また被控訴人は昭和四五年六月一九日付佐藤首相の回答を被控訴人側に有利な証拠として提出した。

右首相回答は、本件住民訴訟が最終段階に達した頃に意図的になされた藤波孝生(同人は津市の存する三重県選出衆議院議員であり、神道政治連盟に所属する)の質問に対する回答である。しかし同回答は、内閣法制局が、主管部局である文部省文化庁宗務課と協議して一ケ月余にわたり慎重に検討して作成したものであり、次のように述べているに止まる。即ち右質問者が「国又は公の機関が社会習慣上一般に認められている宗教儀式を行なうことは、必ずしも憲法二〇条に違反するものでない。ただし、その儀式への参加強制は何人に対しても許されない」との解釈の当否について、「国家施設造営の場合の起工式等の神式行事」をあげたのに対し、首相回答は「宗教にその起源を有する行為であつても、今日、その行為が広く一般国民の間において宗教的意義のあるものとして受け取られず単に社会生活における習俗となつているようなものについては、国またはその機関がそれを行つても、憲法二〇条の趣旨に違反するものではないと考える。」と云うのみで、質問者が例示した“起工式の神式行事”については直接答えようとせず、それが今日単に社会生活における習俗となつているかどうかの判断を留保している。

右回答は地鎮祭即習俗とする被控訴人の本訴における主張に沿うものでもなく、むしろ、今日でも、宗教的意義を有する行事は、それがいかに社会生活上一般に認められていようと、国または公の機関がそれを行なうことはできないとの趣旨をもつものと解されるのである。なお、従来の行政実例に加え、この政府の統一見解に照してみると前記林元法制局長官の答弁は同人の個人的見解に過ぎないことは明らかであろう。

要するに神道式地鎮祭に関する先例・行政実例等についての被控訴人の主張はいわゆる我田引水の主張と云わなければならない。

第八慰藉料請求

一、憲法二〇条二項は、何人も地方公共団体により(前記第五の二、4参照)、宗教上の儀式に参加することを強制されない旨宣言する。

被控訴人は、昭和四〇年一月七日、津市代表者市長名を以つて控訴人に対し憲法二〇条三項に違背する本件地鎮祭の招待状を郵送して、これに参加するよう求め、当時同市の特別職の地方公務員・市議会議員の地位にあつた控訴人をして同月一四日、右地鎮祭への参加を余儀なくさせて憲法二〇条二項が保障する控訴人の信教の自由を侵害し、かつ、同人に侮辱を与え、よつて精神的苦痛を加えた。右慰藉料は金五万円を相当と考える。

二、原判決は、本件起工式は津市の内部的行事(私的行事)でありこれに出席すると否とは被招待者の自由意思に委ねられていることは余りに明白であり、このことは原告が市会議員の地位にあると否とにかかわりないものというべきであるという。

右判示は、憲法二〇条二項の「強制」の意義を国家賠償法一条一項にいう「公権力」を以てする命令・強制と同質のものととらえているもののようである。

しかし乍ら右憲法二〇条二項の「強制」を人身の自由を侵害するような、ないしは法律上の義務を課するような性質のものに限定し、これを狭義に解することは誤りである。思うに地方公共団体が宗教上の儀式を主催する場合市長からこれに参加するよう求められた当該公共団体の職員は勿論、本件控訴人のような特別職の地方公務員の地位にあるものも、特段の事情のない限り、好むと好まざるとに拘らず右招待に応じなければならない社会的立場にあるといえる。若し同人らが右参加を拒否すれば事実上社会的不利益を蒙らないとも限らないからである。精神的自由を保障する憲法の右条項は右のような(国家賠償法上のいう公権力の行使による命令、強制に該当するに至らない)精神的強制をも排除せんとする趣旨のものであると解すべきである。蓋し憲法が何人に対しても宗教儀式への強制参加を禁じたのは、明治憲法下において公務員のみならず一般人に対しても、いろいろな形で、とりわけ精神的社会的圧迫によつて神道的な儀式や、行事に参加することが事実上強制されるに至つたことに鑑みてのことである。この場合でも右儀式に参加しないで済ませることもできたのであつて、只、神道が国教とされていたためにそのことによつて社会的に不利益を蒙るのではないかとの懸念ないし精神的圧迫を感じ、換言すれば精神的強制を受け右儀式に巳むなく参加するのが一般であつた。これについて新井鑑定人は自らの経験を次のとおり述べている。

「かつて私戦時中まだ中学生でございましたけれども、アツツ島玉砕のときに、是非共氏神様の前で戦勝祈願をするから出て来いという町内からの、そのころは指令といつておりましたけれども、何というのか、やはり今式に考えれば招待だと思います。当日、私、かぜをひいてだいぶ熱がありましたけれども行かなければまああとがこわいと申しましようか、いろいろな影響がございますので、別にその意味で腕力で強制されたわけでも何でもありませんけれども、精神的な強制というものが加えられた、こういう事態を二〇条はおそれているのです。」

右新井鑑定人の述べるとおり、憲法は正にそのような不安を排除するために「信教の自由は何人に対してもこれを保障する」(二〇条一項前段)との基本規定の外にとくに「何人も宗教上の………儀式又は行事に参加することを強制されない」(同条二項)との具体的な規定を置いたのである。したがつて右条項の「強制」を公権力の行使による命令ないし強制に限定して解釈するのは、この条項の目的の本質を見誤まり、その存在意識を没却させる誤つた考え方といわなければならない。

本件地鎮祭において控訴人が右の意味の「強制」を加えられたことしたがつてそれによつて同人が精神的損害を蒙つたことは否定し得ないところである(前記第四の三、6参照)。

三、控訴人は、多数の市民から選挙された市議会議員たる職にあつたものである。市議会議員は、当然に市の各般の行政について市民の利益の害われないよう注意監視を尽す職務上の義務がある。とくに少しでも憲法に違反し、あるいは法令に違背する疑いのある行政の執行については、監督を怠らない注意義務が存する。ところで市が憲法に違反する特定宗教の儀式を行ない、それに対し、信仰・信条においてそれに合致しない者が出席を余儀なくされるとすれば当該本人にとつては、それによつて大いなる侮辱を受けた感をもつことは当然である(前記第四の四、4参照)。

本件地鎮祭において控訴人は、右のような職責上の義務により自らの信条に反し、憲法違反と確信する儀式に参加することを余儀なくされたのであるから控訴人は主催者代表者たる被控訴人から右の意味における侮辱をうけたことが明らかである。

四、控訴人は、右に述べた理由により精神的損害をうけたのであるが、もとより右損害は無形のものであり、その算定は困難である。しかし、右儀式の違法性強度なること等諸般の事情に鑑み少なくとも金五万円は下らないものと思料する。

第九結語

以上、事実上、法律上のあらゆる点にわたり、本件地鎮祭の挙行、したがつて本件公金支出の適憲、違憲、適法、違法について検討してきたが、いずれの面からみても、それが憲法二〇条三項、一項後段、二項、八九条の定めに違背するものであることが明らかとなつた。したがつて、右公金支出の支出命令権者であり(地方自治法二三二条の四第一項)かつ、津市の首長として、市政の最高責任者(同法一四七条)である被控訴人は、右違憲違法の支出を、地方自治法二条一五項前段(地方公共団体は、法令に違反してその事務を処理してはならない)及び一三八条の二(普通地方公共団体の執行機関は……予算その他……公共団体の事務を、自らの判断と責任において、誠実に管理し及び執行する義務を負う)の定めに違反して支出したものであるから、控訴人は被控訴人に対し、地方自治法二四二条の二、 一項四号により津市が蒙つた損害金七六六三円及びこれに対する昭和四〇年五月六日以降完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、また被控訴人は右地鎮祭を敢えて挙行したうえ、控訴人をしてこれに参加せざるを余儀なくさせ、よつて同人の信教の自由を侵害し精神的苦痛を与えたものであるから、民法七一〇条、 四四条により慰謝料金五万円及びこれに対する昭和四〇年一月一四日以降完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるものである。

冒頭に述べたように、本件訴訟は一地方公共団体が挙行した地鎮祭という一見些細な事柄を争つているように見受けられるが、そこには過去における神社神道にみられるような宗教と国・公共団体との特別な結合関係を、いかなる宗教に対してももつことを禁止した憲法秩序にかかわる重要な問題が潜んでいるのである。

日本国憲法は明治憲法の政教一致主義の下で信教の自由が甚しく侵害されていたことをかえりみ、政教分離を採用したのであつたが、その後の経緯をみるにまさに憲法が変革しようとしたところのものを之に戻す風潮が生じていることを見逃すことはできないのである。

このような社会的事実を前提とするとき、地鎮祭といういわば日常的な宗教上の儀式により、地方公共団体と宗教とが関係をもつことは、国・公共団体の宗教に対する中立性を破るものとして厳しく排斥されなければならない。我々は過去の苦い経験を通して国家の非宗教性を確立した憲法の精神を貫かねばならないのである。かつて米国において、公立学校の教室でバイブルの一節を読むことの違憲性が問われた事案で、クラーク最高裁判所裁判官は、それを違憲として次のように述べた。

「本件における政教分離の原則の侵害は、滴る水であるかもしれないが、これはまもなく奔流する怒濤になるであろう」

「短い聖書の一節の朗読ならよいではないか、とか、宗派色に偏らない聖書だからいいではないか、とかいつて、国家の宗教に対する中立性を一つ崩したら、後は次々に、歯止めなく崩れが進行して了う。ことは原則に関することがらなのであるから、侵害の程度を問わず、それをその最初の軽微な段階において阻止鎮圧しなければいけない」ということを強調しているのである。これはわが国においてもそのまま妥当する貴重な警告であると考える。

宗教の自由は、歴史的に見て、自由権のカタログにおいて、花形的地位を占める。それは、文字どおり、すべての人権宣言で定められている。裁判所は歴史現実に思を致し、控訴人及び参加人らの住民自治に基づく本件住民訴訟に真摯にこたえ公正な判断を示すべきである。

(被控訴代理人の陳述)

控訴人主張の事実中、被控訴人従前の主張に反する部分は全部争う。本件起工式又は地鎮祭は、日本国憲法二〇条三項に定める宗教的活動又は宗教教義の宣伝を目的とする行為ではない。本件地鎮祭は古来、諸種の変遷はあつたが、社会的儀礼或いは習俗的行事の一つにして宗教的行事ではないから、何ら違憲違法でない。

(証拠関係)<略>

理由

第一控訴人の損害補てんを求める請求に対する判断

一本件の事実関係

(一)  当事者間に争いのない事実

(1)津市が昭和四〇年一月一四日津市体育館起工式(以下単に「本件地鎮祭」という)を同市船頭町所在の建設現場において挙行し、控訴人が津市議会議員として被控訴人から招待を受け、これに参列したこと、(2)右地鎮祭は、津市教育委員会教育課体育係長伊藤義春を進行係として、宗教法人大市神社宮司宮崎吉脩ら四名が神式に則り、修祓、降神の儀(一同起立、磬折)、献饌、祝詞奏上(一同起工、磬折)、清祓の儀、刈初めの儀、鍬入れの儀、玉串奉奠、撤饌、昇神の儀(一同起立、磬折)の式次第により儀式を行なつたものであること、(3)しかして右地鎮祭の経費は、これよりさき昭和三九年一二月津市議会において可決され、その後同四〇年三月二二日体育施設費に神職の謝礼金四〇〇〇円を新たに報償費として計上し、同額を需要費から減ずる補正予算が可決されたので、被控訴人が津市長として、右神職に対する報償費金四〇〇〇円、供物代金等金三六六三円合計金七六六三円の支出を命じ、そのころ支出官たる収入役をして支出させたこと、(4)そこで控訴人は、津市の住民として、同年一月二二日右公金の違法な支出について、地方自治法二四二条一項の規定に基づき監査請求をしたところ、同年三月一日津市監査委員より津市の行なつた地鎮祭は適法であり、前記公金の支出も違法ではない旨の通知を受けたこと―以上の事実は当事者間に争いがない。

(二)  本件地鎮祭について

前記争いいのない事実に<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(1)当日、本件地鎮祭の挙行された津市船頭町所在の体育館建築工事現場には、会場入口に「津市体育館起工式々場」の看板が掲示され、控訴人はじめ参列者は、それぞれ式場入口で受付を経た後、市職員より奉書にて柄をまき水引をかけた柄杓で手に水をかけられ、身を清めるいわゆる「手水の儀」(神道における最小限度の禊の意味)をした後、式場に入つた。

(2)式場には、天幕の下には参列者用の椅子が並べられ、奥の天幕は周囲に紅白の幔幕を張り、四隅に笹竹(斎竹)を立て、三方に注連繩が引きめぐらされて祭場が設けてあつた。そして、右祭場の奥正面には榊(神籬(ひもろぎ))をのせた白木の机の祭壇を設け、その前面に青物等の供物(神饌)をのせた三方がおかれ、祭壇に向つて左手前の机には玉串が、また右手前の机には榊、鎌、鍬の祭具がのせてあつた。さらに左手前には枯草を植えた盛砂があり、その前方に前記のような地鎮祭の作法順序を記載した式次第が掲示されてあつた。

(3)右土地の氏神に当る宗教法人大市神社(代表役員宮崎吉脩、包括団体たる宗教法人神社本庁に属する)は、津市係員より地鎮祭の儀式を執り行なうよう依頼を受けてこれを承諾し、当日、宮崎吉脩宮司以下四名の神職がいずれも衣冠束帯を着用して出席し、宮崎宮司が斎主となり、その他の神職が斎員となつて、それぞれ右儀式を厳粛のうちに執り行なつた。

主催者である津市は、被控訴人市長名義をもつて、同年一月七日予め三重県知事、三重県議会議員、津市議会議員(控訴人を含む)、津商工会議所会頭、自治会連合会長、婦人会役員など地元有力者および援助を受けた国の行政機関にそれぞれ招待状を発して本件地鎮祭への臨席方を案内していたので、当日来賓として約一五〇名の参列者および工事責任者が出席し、前記伊藤義春は進行係を、その他の市職員数名は、それぞれ受付又は案内係をつとめた。

(4)本件地鎮祭は、当日午前一〇時より前記式次第に従つて始められ、右神職四名主宰の下に神社所有の祭具を用いて次の神事を行なつた。

修祓の儀(神職が参列者一同の前に進み出て榊の枝を打ち振り、一同の罪穢をはらいのける儀式)、降神の儀(神職が祭壇の前へ出て礼拝し、祭壇の神籬に大地主神(おおとこぬし)及び産土神である大市比売(おおいちひめ)命等の神霊を招き降す儀式)、献饌の儀(神職が神饌である青物等の供物を供える儀式)、祝詞奏上(斎主が祭壇の前に進み出て神霊に対し本件工事の無事安全を祈願する祝詞を読み上げる儀式)、清祓の儀(敷地をはらい散供(さんぐ)を行なう儀式)、刈初めの儀(被控訴人市長が盛砂の上に植えてある枯草を鎌で刈る動作をし、荒地を切り開く儀式)、鍬入れの儀(工事責任者が盛砂に鍬を入れて荒地を平にする儀式)、玉串奉奠(被控訴人市長、市議会議長らが順次祭壇の前に進み出て神職から渡された榊の枝(玉串)を奉つて拍手拝礼する儀式)、撤饌の儀(神饌を撤する儀式)、昇神の儀(神々に天へ帰つてもらう儀式)

(5)参列者一同拝礼して午前一〇時四五分ころ滞りなく地鎮祭を終え、しかる後予め西隣りに設けられた祝賀会用天幕へ行つて祝宴(神道では直会(なおらい)という)をした。控訴人は市議会議員として右儀式に参列したものの、予てより右のような方式で地鎮祭の行なわれることに反発し、拝礼をしなかつたのみならず、後日の証拠蒐集のため適宜写真を撮影したりなどしていた。

(6)津市では、右地鎮祭の挙式並びに祝賀会費用として、後日、神職に対する報償費(初穂料)金四〇〇〇円及び供物料(神饌料)金三六六三円を含み、合計金一七万四〇〇〇円の公金を支出した。

(三)  前記認定の事実関係からすると、本件地鎮祭は、津市(代表者市長被控訴人)主催の下に、宗教法人大市神社宮司宮崎吉脩が斎主となり、その他の神職三名が斎員となつて、大地主神、大市比売命等の祭神を祭り、神社神道固有の儀式に則り挙行された祭祀であつて、津市はこれを公の行事として行なつたものであり、被控訴人市長は地鎮祭の挙式費用(神職に対する謝礼金並びに供物料)として、津市の公金七六六三円を支出したものであることが明らかである。

二、本件地鎮祭の宗教性の有無について

控訴人は、本件地鎮祭の挙行及びこれに伴う公金支出が違憲、違法である旨主張するので、その前提として、まず地鎮祭の意義、沿革、変遷等について検討する。

<書証>に当審鑑定人佐木秋夫、同和歌森太郎の各鑑定意見を参酌すると、次の事実が認められる。

(一)  地鎮祭の意義、沿革等

(1) 地鎮祭の意義、名称

地鎮祭(「とこしづめのまつり」とも訓む)とは、神社仏閣、宮殿、官公署、校舎、一般住宅、その他各種建物の新築又は各種土木事業を開始するに当り、その土地の神を祭り土地の平安堅固、工事の無事安全等を祈願する儀式である。元来、仏教(真言宗)から生じた名称であつて、平安時代末頃より地鎮祭の呼称が固定し現在に至つているが、一般には地祭(ぢまつり)、起工式と称えられ、伊勢神宮では逆に鎮地(ちんち)祭と称している。また古くは、鎮祭、地勧請、地曳之式礼ともいわれた。仏教各宗派特に真言宗、天台宗、日蓮宗、曹洞宗、浄土宗では地鎮式又は起工式といつて天神地祗等の来臨を請い工事の安全、建物の繁栄と仏法の発展を祈願し、キリスト教では、プロテスタント(新教)、カトリック(旧教)を問わず、造物主である神に対して工事の安全等を祈祷する同様の儀式を起工式又は定礎式といつている。

(2) 地鎮祭の起源、変遷

もともと、日本古代における宗教の発生は、原始信仰から始つて神道の原初的形態が形成されたのである。地主神、土地の霊を祭る産土神信仰は、原始信仰における自然崇拝より発達した精霊信仰における霊の観念を基盤とし、初期神道において形成された神観念の一つである。従つて、遠い古代から地鎮祭という固定した名称はなくとも、建物を建築するに際し、土地の神霊を祭る宗教的儀式が行なわれ、特に神社の宮地、宮殿の宮地を鎮める祭儀を起源とした。

中世において、神仏、神儒習合思想の影響を受け、天台、真言系の密教では、神道の土地神を包摂し、僧侶や山伏、行者が神仏混淆した形で地主神を祭るこの種の儀式を執り行なつた。また、特に僧侶等の宗教家に依頼することなく、各自の本意で土地の悪霊(邪鬼)を鎮め「所鎮め」、「所固め」という呪術的な建築儀式も行なわれていた。また、延喜臨時祭式には「鎮土公祭」と称して、道家の祭る地神(土公)を祀り地鎮祭を行なつた記録もある(古事類苑)。

江戸時代に至り、従来仏教者が掌つていた地鎮祭を教学神道家の意識で峻別し、吉田、白川両家では仏式をとりいれ、独自の神道を体系化したが、祭儀は秘事口伝とされた。この時代に大工、棟梁(番匠・工匠)が吉田家から免許を受け、神職の装束を着て、「地勧請」又は「地曳」と称し、外来の神である二八宿星神を祭り、陰陽道で地鎮祭を行なつていた記録がある(匠家故実録)。また、橘家(きつけ)では陰陽五行説を用いて地鎮祭を行ない、特に鎮物を厳格に指定したり、季節によりその位置を異にしていたが、一般にその祭儀は必ずしも一定していなかつた。漸く江戸中期に至り、橘三喜が吉田神道を基にしてその祭儀を整え、今日に伝わる神道式地鎮祭の祭儀の基礎を定めた。

右のように、地鎮祭は、もともと原始神道的な儀式が神仏、神儒習合により一旦は仏教者の手に委譲された後、さらに別の教学神道家が現在に伝わる祭儀の基礎を作るという三段階の経緯を経ている。

しかし、神道式地鎮祭が民間に普及するまでは、「地祭」と称し頭屋(とうや)とよばれる祭祀権をもつ村の長老が神主役をつとめるなどして、土地に塩を撤き御幣を立て、または五本の幣を中央と四隅とに埋めるなど、建築始めにあたり地の神を鎮め祭る素朴な儀式が行なわれた。本件のような専業の神職による地鎮祭は、特に明治以降国家神道の下において、都市およびその周辺における新しい風俗として行なわれるようになつたものである。

(3) 神式地鎮祭の祭式の制定

前記のとおり、地鎮祭の祭式、祭神、祝詞等については、古来習合思想の影響を受け、宮中、神宮、白川家、吉田家及び橘家等によつて、その伝承を異にし、一定するところがなかつた。

明治初年、神仏分離後も神道祭祀の中に仏式作法が混入している等(神道式地鎮祭における鍬入れの儀のごとし)、神仏併存し種々雑多の儀礼が行なわれていたので、これを整備統一するため、明治四〇年(一九〇七年)、祭政一致を国体と観念する時の政府は、内務省告示七六号をもつて「神社祭式行事作法」を制定公布した。右告示により神社の行なう祭祀の基準を定め、これを各府県に通達し、公務員たる神職はこれに従つて祭祀に奉仕するように命じられた。また神職の服装規則、祝詞の基準もこれよりさき古式に則つて制定公布された。その後祭式は大正三年(一九一四年)官国幣社以下神社祭式(内務省令四号)によつて一部改定される等部分的改定を経由し、戦後は包括団体たる宗教法人神社本庁に引き継がれて今日に至つた。従つて、現行の祭式は、大体明治四〇年制定のものに則つているものといえる。

これによると、地鎮祭の祭神としては、皇居においては座摩(いがすり)五座の神であるが、その他の所ではその土地の産土神および大地主神の二座を奉斎するをよしとされ、概ね一定の祭場に祭壇を設けて執り行なわれ、その方位、設備、祭員の服装その他についても定められている。

祭儀の次第は、本件と大体同じく修祓に始まり、降神、献饌、祝詞奏上に次いで敷地を祓い散供を行なう。終つて後、忌鎌をもつて草刈初めの儀を、続いて忌鍬をもつて穿初めの儀を行ない、次いで鎮物(忌物ともいう)を埋納し、しかる後に拝礼、撤饌、昇神の順序で終了するのが普通であり、祭儀の日時は吉日を選び、古くは正午に行なつたが、現在では多く午前中に行なう。また、神職が奏上する降神詞、昇神詞、祈念詞の祝詞についても、その文例が示されている。

(4) 結び

以上のような歴史的経緯から考えると、地鎮祭又は起工式そのものは古来から行なわれてきた建築儀式の一つであるが、本件において神職が主宰した神道式地鎮祭は、鎮物(忌物)の埋納を省略しているほか、明治四〇年以降に神社神道が定めた式次第に比較的厳格に則つて行なわれていることが認められる。従つて、本件地鎮祭は神社神道の祭祀としてなされるその固有の儀式の一つであるということができる。

(二)  神社神道の宗教性の有無について

控訴人は、神社神道に則つた本件地鎮祭が宗教上の儀式ないし宗教的活動であると主張するのに対し、被控訴人は、本件地鎮祭が古来からの習俗慣行として各宗教を超越した形式的儀礼である旨抗争するので、まず、神社神道が日本国憲法にいう宗教であるか否かについて検討する。

<書証>と当審証人飯坂良明の証言、当審鑑定人佐木秋夫、同和歌森太郎、同佐藤功、同小野祖教(一部)の各鑑定意見を総合参酌し、当裁判所は、次のとおり考える。

(1) 神社神道の特質

神道は、講学上、古代以来存在して、仏教、儒教、陰陽道、キリスト教等外来の宗教に対立し、それらと習合又は交渉し、それらの影響の下に変遷し発達してきたわが国固有の宗教であるといわれる。一般に宗教学上、宗教は、自然的宗教(民族宗教)と創唱的(成立)宗教(世界宗教)とに大別される。自然宗教とは、原始宗教や神社神道(教派神道ないし教学神道と区別する意味でこの用語を用いる。以下同じ)、ユダヤ教等のように創始者(教祖)をもたない宗教であり、これに対して創唱的宗教は、キリスト教、仏教等のように創始者をもち、そのよるべき教義、教典をもつている宗教である。

神社神道が成立宗教のような教祖及び特定の教義、教典をもたないのは、このような自然的宗教性に由来するものであり、歴史的にみて余り布教伝道を行なつてこなかつたのも、かかる自然形成的な性格によるところが多い。

もともと、わが国の原始社会は、水田耕作を中心とする集団的農耕社会で、ここでは個人的性格の強い信仰より自然崇拝、穀霊崇拝と穀物の豊饒を祈願する社会的性格の強い農耕儀礼が民族宗教の要めをなしていた。その後、個人的な精霊信仰も部族的な氏神祭祀から地縁集団の守護神である産土神信仰へ推移し、原始神道がこれらを包容して祖霊崇拝、氏神信仰の宗教観念を形成していつた。このように神社神道は地理的に孤立したわが国で集団的な祭祀、儀礼を中心に生成発達した。そして祭祀を通じて、村落共同体など集団における統制と協同の強化、促進をはかる契機となり、共同信仰の性格が強かつた。その後七世紀に至つてようやく仏教、儒教、陰陽道等外来の宗教と接触して宗教としての独自の立場を形成していつたが、一九世紀中葉明治維新に至るまで、本質的には原始宗教以来の共同体(集団)の祭祀形態を持続してきたものである。従つて、教義も中世において神仏、神儒習合の教義が体系化されたことはあるが、神社神道独自の教義が正確に体系化されたことがなかつたのは、右のような形成過程によるものである。

そして、このような祭祀中心の集団的宗教として生成発展してきた神社神道の特質が、祭政一致を国体観念とした古代国家および明治政府の政治権力と結びつく基礎的条件になつているのであり、今日でも国及び地方公共団体など共同体(集団)と結びつきやすい性質を有しているのである。また、神社神道は、いわゆる伝道宗教と異なり、祭祀中心の宗教として継承存続したため、特に成立宗教のような布教伝道を必要としないまま今次敗戦に至るまで国家の特別保護を受けてきたのである。

(2) 神社神道における祭祀の意義

地鎮祭が神社神道における祭祀の一つであることは前記のとおりである。神社神道において祭祀とは、神を祭ることであり、個人でも集団でも、自己の敬う神に対し行なう行為である。祭祀という宗教的実践的行為を通じて絶体者なる神と一体化する、「祭るものが祭られるものである」という神人一体、神人交感の現象を実現せんとするのである。故に祭祀は、神社神道における中心的表現であり、神社神道において最も重要な意義をもつものである。

このことは全て神道学者の力説するところであり、西角井正慶はその著「祭祀概論」(甲第四号証)において「神社神道は、特に祭祀を重んじる宗教であり、神社の宗教的活動は祭りの営みにあるといつてよいくらいである。……祭祀は神道にとつて最も重大な意義を存し、神観も教義も、その中に伝来し継承されるものだからである。」といい、庄本光政はその著「神道教化概説」(甲第五号証)において、「祭祀は、神社神道における神恩感謝の手ぶりであり、信仰表明の最も純粋な形式である。従つて祭祀は神道信仰が最高度に表明され、集中的に表現されるものであつて、神道信仰の最も深い態度が打ち出されるものということが出来る。……それは『まつらふ』という語義の通り、神に仕へまつること、神に帰一すること、神に随順することがこれである。……このように見て来れば教化活動は第二のまつりであり、……教化活動は祭に始まり、祭に終るとも言ふことが出来る。祭祀をおろそかにしての教化活動は神社神道においては無意味である。神社を今日に伝へたものは、まつりである。神社神道にとつて、このまつりの手ぶりは所謂沈黙の雄弁であり、最も偉大なる説教である。しかし一面において、長年月の間に祭祀は自然と固定化し、儀式化し、習俗化して、生々とした信仰の息吹きから退化して行くおそれもなしとしない。まつりの精神を積極的に日常化し、生活の隅々にまでこれを持込むのが教化活動である」という。また小野祖教はその著「神道の展望及び分析」(甲第六号証)において、「まつりに於いて最も大切な事は、まつらるる神と、まつる神との魂の一致でなければならない。まつる者の心が神の御心、神慮と一致し、神慮に叶う行為、生活が営まれてはじめて、神の納受と神の祝福とを期待しうるのであり、神明神慮が行なわれるというべきである。このような精神の問題を考えずに神の祝福を期待しうると考えるのは、神道のまつりを呪術の域に堕すものに他ならない。……神道はまつりの生活を営む宗教であるべきであり、まつりの儀式を行なう宗教に止まるべきではない。……精神と生活との上に成立つまつりを徹底させるべく、氏子崇敬者の教化を行なう必要がある。……特殊神事とよばれるような祭典は、特に狭義のまつりには属するが、人々を神に接近させる上に、歴史的に大きな役割を果し来り、現に果しつつあるものが多い」という。

以上のように神道学者が祭祀の重要性を説き、祭祀を通じて教化活動がなされるべきことを強調しているとおり、祭祀は神社神道において最も重要にして第一義的意義を有するものというべきである。

(3) 憲法二〇条にいう宗教の意義

一口に宗教といつても、極めて多元的多義的であるのでこれを定義づけることは頗る困難である。宗教法人法(昭和二六年法律第一二六号)が宗教の定義を避けたのもこのためである。そこで同法は、宗教上の外見的行為を捉えて、第二条に「この法律において宗教団体とは、宗教の教義をひろめ、儀式行事を行ない、及び信者を教化育成することを主たる目的とする左に掲げる団体をいう」と規定し、第一号に「礼拝の施設を備える神社……」を、第二号に「前号に掲げる団体を包括する教派……」を挙げて同法の適用ある宗教団体と規定している。普通前者を宗教法人法上の単位団体(例えば神社)といい、後者を包括団体(例えば神社本庁)という。宗教学上、最も広い意味で、「宗教とは神と人との関係である」と定義づけられている(テイーレ)。すなわち、宗教は本質的に人間相互の関係でなく、人間の神に対する精神的生活面(信仰)であるとする趣旨である。ところで本件で争われている信教の自由、政教分離の原則に関する憲法二〇条についていうと、「宗教」とは、同条各項により多少広狭の差はあるが、後記のような同条の立法趣旨及び目的に照らして考えれば、できるだけこれを広く解釈すべきである。

そこで、敢えて定義づければ、憲法でいう宗教とは「超自然的、超人間的本質(すなわち絶対者、造物主、至高の存在等、なかんずく神、仏、霊等)の存在を確信し、畏敬崇拝する心情と行為」をいい、個人的宗教たると、集団的宗教たると、はたまた発生的に自然的宗教たると、創唱的宗教たるとを問わず、すべてこれを包含するものと解するを相当とする。従つて、これを限定的に解釈し、個人的宗教のみを指すとか、特定の教義、教典をもち、かつ教義の伝道、信者の教化育成等を目的とする成立宗教のみを宗教と解すべきではない。

(4)  神社神道は宗教である。

かかる観点からこれを考えれば、たとえ神社神道が祭祀中心の宗教であつて、自然宗教的、民族宗教的特色があつても、神社の祭神(神霊)が個人の宗教的信仰の対象となる以上、宗教学上はもとよりわが国法上も宗教であることは明白である。個人が神社を崇敬しこれに参拝するのは、神社の建造物や神職に対してするものではなく、その背後にある神霊すなわち超人間的存在を信じてこれに礼拝するのである。人間と超人間的存在との関係が本質的にすべて宗教の問題であることは、さきに述べたとおりである(なお、神社神道に教祖、教義、教典がなく、歴史的に余り布教伝道を行なつてこなかつたのは自然的宗教に由来する通有性であり、また、わが国のほか諸外国に普及しなかつたのは民族的宗教性によるものであつて、宗教たるの性質を妨げるものではない)。

ところが、旧憲法の下においては、神社に国教的性格を与え、祭祀と宗教を分離して宗教団体法(昭和一四年法律第七七号)の規律の範囲外とするなど、行政上他の宗教と区別したため、当時の政府は、神社は旧憲法二八条にいう宗教ではなく、憲法の上諭・告文・勅語で明らかなわが国体観念に基づく超宗教であり、国家の祭祀であつて、「神社は宗教に非ず」と説明していた。しかし、これに対しては、他の宗教界、宗教学者及び法学者らより強い非難があり、むしろ神社神道が宗教であることは、当時すでに国内的にも国際的にも定説というべきものであつた。

戦後、いわゆる神道指令により神社神道の国教的性格が制度的にも廃止され、他の宗教団体と同様に一宗教法人として取り扱われ、各種税法上非課税措置その他の特例を受けて、法律系上、神社が宗教であることは明らかになつた。しかし、なお神社を宗教に非ずとする説もとなえられている。例えば、当審鑑定人渋川謙一は、「神道は神ながらの道であり、日本古来の信仰、文化を包含するが故に非宗教である」といい、また、当審鑑定人大石義雄は、「いわゆる国家神道または神社神道の本質的普遍的性格は、宗教ではなく国民道徳的なものであり、神社の宗教性は従属的、偶然的性格である」というけれどもこのような見解は、上述してきたところに徴し、採り難いものである。

むしろ、神社神道の本質的普遍的性格は、法人格の有無、名称の如何にかかわらず、わが法制上は宗教であり、宗教現象の中心的部分にあると周辺的部分にあるとを問わず、憲法上の規制を免れないと断ぜざるを得ない。この点において、「神社神道は宗教性があつても、いわゆる宗教ではなく、戦後宗教法人となつたのは単なる法の擬制であり、行政上の取扱いである」とする小野鑑定人の意見もまた、宗教法人法が神社を宗教団体の一つに規定したのは占領政策の残滓であるとの前提に立つものであつて、にわかに賛成できない。

(三)  神社神道式地鎮祭の習俗性の有無について

以上のように、当裁判所は、神社神道がわが国法上の宗教であると考えるものであるが、これを前提にして、なおかつ神社神道式に則つた本件地鎮祭が非宗教的習俗行事といえるか否かについて、さらに検討を加える。

<書証>、当審鑑定人佐木秋夫、同和歌森太郎、同佐藤功、同高柳信一の各鑑定意見を総合参酌して、次のとおり考えられる。

(1)  習俗の意義

ここで「習俗」とは、縦に世代的伝承性をもち、強い規範性ないし拘束性を帯びた協同体の伝統的意思表現すなわち生活様式ないしそれを支えている思考様式をいい、一般に普遍性を有する民間の日常生活一般をいう。習俗は、民俗学上「民俗」といわれ、単なる風俗・風習とこれを区別すべきものである。そして、習俗は、すくなくとも、三世代以上にわたり民間に伝承されて存する定型化された慣行で、国家の規制を受けないものをいうべきである。そうした習俗は、これを反省したり、そのために何らの説明を施したりすることなく世代的に伝承され、抵抗なく受け容れられるものでなければならない。

しかして、宗教的儀式行事の社会習俗化現象は、夙に多くの人々によつて指摘されているところであり、わが国の農耕儀礼の中に時代の推移とともに行事のもつ宗教的要素が稀薄となり、又は消滅し、やがて農村における伝承的行事となつて習俗化している事例があることは一般に顕著な事実である。また、元来、宗教に起源を有する行事であつても、正月の門松、雛祭り、家庭における豆まき、クリスマスツリーのごとく宗教的意義が非常に稀薄となり、その行為が広く国民の間に定着して殆ど宗教的意識を伴うことなく行なわれ、今日では習俗的行事ないし季節的行事と化しているもののあることも一般に指摘されているとおりである(それ故に、さきに述べたとおり、神社神道において重視する祭祀が自然に儀式化し、習俗化していく退化的現象を憂慮して、神社は祭祀を通じて積極的に教化活動をすべきことが説かれているのである)。

このように、習俗は、固定的な概念でなく、時代と環境とにより推移するものであることは否定できない。宗教的意義、色彩を失つた習俗的行事については、後に述べる政教分離の原則に関係がないことは当然である。

(2)  宗教的行為と習俗的行為とを区別する基準

このような観点から、本件地鎮祭が右に挙げた正月の門松、クリスマスツリー等と同視できる習俗的行事といえるかどうかについて考察する。宗教上の施設外で行なわれた本件地鎮祭が宗教的行為か、習俗的行為であるかを区別する客観的な基準として、次の三点を挙げることができる。

(イ) 当該行為の主宰者が宗教家であるかどうか

(ロ) 当該行為の順序作法(式次第)が宗教界で定められたものかどうか

(ハ) 当該行為が一般人に違和感なく受け容れられる程度に普遍性を有するものかどうか

そこで、これを本件についてみるに、(イ)本件地鎮祭の主宰者は、衣冠束帯の式服を身につけた専門の宗教家である神職(大市神社の宮司外三名)であつて、大工・棟梁等非宗教家ではないこと、(ロ)本件地鎮祭の式次第は、明治四〇年(一九〇七年)内務省告示により制定された神社神道固有の祭式に大体準拠し、一定の祭場を設け一定の祭具(宗教用具)を使用してなされた儀式であること、(ハ)本件地鎮祭は、わずか数十年の伝統をもつに過ぎず、すべての国民が各人のもつ宗教的信仰にかかわらず、抵抗なく受け容れられるほど普遍性をもつものとはいえないこと(この点についてはさらに後述する)、以上の諸点から考えれば、大市神社の神職が主宰して、神社神道固有の式次第(宗教的作法)に則つて行なわれた本件地鎮祭は、宗教的行為というべきであつて、未だ習俗的行事とはいえないものといわなければならない。

これに対し、渋川鑑定人は、「神道セクトの枠を超えた人々にとつて、起工式等が神道的な儀式であつても、これに参列するのに不快感や違和感を抱くことのない社会意識と社会習慣が普及している。従つて国家としては、これを以て非宗教的習俗行事と考える」と述べているが、地鎮祭について、参列者に不快感違和感を抱かせない社会意識ないし習慣が定着していると考えるのは、独断の謗りを免れない。また、小野鑑定人は、「一般には社会的儀礼又は社会的慣習と解釈してよい。問題は、本件地鎮祭を掌つた神職個人の内心如何ではなく、これを依頼した主催者たる津市の意識及び社会大衆の意識の問題である」旨述べている。しかし、このような主催者及び参列者ら各自の宗教的意識ないし信仰の有無という内心的事情のみによつて当該行為の宗教性の有無を判断すべきものではなく、前記のような行為の客観的、外形的基準を併せてこれを判断するを相当と考える。従つて、右のような各鑑定人の意見および大石鑑定人の「地鎮祭は起源としての宗教と無縁な建築様式の中に入る習俗である」との意見、原審証人宮崎吉脩、同伊藤義春のこの点に関する供述部分は、いずれも採用できない。

(3) 本件地鎮祭と宗教的信仰の有無

被控訴人は、本件地鎮祭には宗教の要素である宗教的信仰が欠けているから、宗教類似の行為であつても、宗教的行為とはいえない旨主張する。

しかし、本件においては、前記のとおり、宗教家である神職が宗教的信念に基づき、宗教的観念の表現、実践として、神社神道で定められた比較的厳格な祭式に則り、地鎮祭なる祭儀を執り行なつたものであること、そして右儀式は、単なる建築はじめの行事作法として行なわれたものではなく、神職主宰の下に、野外に設置した祭壇の神籠に神の来臨を願い、降神の儀、献饌の儀、祝詞奏上等、それぞれ宗教的意義のある儀式を次々に行ない、右儀式を通じて神と人との一体化をはかりながら、神々(土地の守護神)に土地の悪霊(邪鬼)を鎮めてもらい、神の加護あることを願つて、建築工事の平穏、無事と完成後の発展を祈念し、宗教的実践を通じて教化したものであること、そしてこれに参列した多くの人々は、忌笹を立て、注連繩を張りめぐらして聖と俗とを分つた祭場(聖域)において厳粛な宗教的雰囲気に感化され、市の代表者をして神に玉串を奉奠して神と接近せしめ(神に接近する手がかりとして原始古代以来の信仰により榊などの常緑樹の枝が使用される)、宗教的信仰の表明として絶対者なる神に礼拝し、工事の無事安全等を祈願していること、また工事担当者は、神の崇り(災難)を怖れて、切実な宗教的要求から進んで地鎮祭に参加し、これにより安心立命して建築工事に着手するのであつて、地鎮祭を行なわなければ建築工事の上で形がととのわないから行なうといつた意味で、形式的な、内容のない、空疎な儀式を事新しく行なつているものではないこと、これらのことは、一般に地鎮祭が古来から、土地神に対する根強い宗教的信仰を伴つて伝承してきたものであることからいつても明らかである。

そうであれば、本件地鎮祭は、まさに宗教的信仰心の外部的表現であり、土地の守護神である産土神等、神に対する信心の発露として、神を祭り、神に礼拝し、工事の安全等を祈願する宗教上の儀式(神事)を神職主宰の下に執り行なつたものであつて、宗教的行為以外の何ものでもない。それは、被控訴人主張のような宗教的信仰・意識・感情を伴わない形式だけの、単なる慣習による式典として行なわれたものでないことはいうまでもない。従つて、被控訴人の右主張は採用の限りでない。

(4) 他の宗教および民間における地鎮祭の事例

今日、本件のような地鎮祭のみが国民の間に広く慣行として行なわれているわけではなく、神社神道以外の他の宗教、宗派において、それぞれ異つた独自の方式でこの種の儀式が行なわれていることが認められる。

<証拠>を併せ考えると、仏教宗派の殆どすべてが地鎮式又は起工式を行ない、特に天台宗、真言宗はこれを重視していること、日蓮宗にあつては、僧侶が信徒の依頼に基づき、大曼茶羅を掲げて天地神の来臨を勧請し、読経のうえ仏の慈悲の下に工事の無事成就することを祈願する一定の法要式に従つた儀式が宗教活動たる布教の一環として行なわれていること、キリスト教では仏教や神道における土地の神という観念はないが、プロテスタント、カトリックを問わず、牧師が司祭者となつて、造物主である神の恵みに感謝し、聖書の一節を朗読し讃美歌を歌つて、神の加護の下に工事の無事安全を願い、計画どおり建物の完成することを祈祷する教団で定められた式次第に則る定礎式又は起工式が行なわれていること、また、御嶽教その他の教派神道においても、それぞれ独自の祭式により地鎮祭を行なつており、地方においては、地祭又は土祭と称して、専門の宗教家に依頼することなく、未だに大工、棟梁、施主らが各自に土地を塩で浄めたり、その他特定の神社の土を撤いたり、また、鍬で土地に穴を穿ち御神酒を滴らして土地の神霊を鎮め祭り、工事の安全を祈願するなど素朴な儀式が行なわれていることが認められる。

本件のような神職の掌る神社神道式地鎮祭が盛大に挙行されるに至つたのは、むしろ近年、特にビル等の建築ブームに便乗して顕著となつた現象であつて、殊に公共用建築物の神式地鎮祭に対しては、これまでもしばしば有識者より疑問が提出され批判を受けていたことは、<証拠>により明らかである。また、本件地鎮祭の参列者であり津市の市民でもある本件控訴人及び補助参加人らも右儀式に違和感を抱き、抵抗を感じているものであることはいうまでもない。

従つて、神社神道式地鎮祭のみが、すべての国民に抵抗なく受け容れられるほど馴染んでおり、普遍性を有するものとはいえない。

(5) 国民大衆の宗教的意識

これを一般大衆の宗教的意識の面から考察するに、この点については、すでに宗教学及び宗教社会学において宗教的意識の雑居性ないし混淆性とよばれ、いわゆる多重信仰(シンクレテイズム)の現象として取り上げ指摘されているところである。すなわち、多くの国民は、村や町等地域社会集団の一員としては神道を、他方、個人又は家としては仏教等を信仰するなど、大衆の信仰における雑居的構造は否めない。このことは、歴史上神道が仏教導入の当初にこれとの間に争いを起したことがあつたのみで、その後は神仏共存して発展し、それぞれ宗教上の機能を分化させ、大衆は冠婚葬祭等人生の通過儀礼といわれるものの上でもこれを使い分けて矛盾を感じないことから明らかである。本件地鎮祭のごときもその一つで、個人的信仰の問題でなく、集団的信仰の問題であるので、大衆の宗教的意識の中では神仏が併存しうるわけである。

他面、大衆の宗教的観念には、聖と俗との相互移行が体質化しているため、両者の区別、限界について合理的判断力が欠け、宗教的にルーズであるといわれている。殊に戦後、新興宗教等の熱心な信者を除いて国民の多くは、一般に個人としての宗教的関心度が低く、それが宗教的潔癖感の欠如を招いているといつてよい。また一般的傾向として、現代人から神の観念ないし宗教的意識が次第にうすれつつあることは否定できない。そのために都会では地鎮祭を省略するものもいる。

しかし、右のように宗教的潔癖感を欠く大衆の雑居的信仰構造を基にして、一般に神道式地鎮祭が日常多くみられるからといつて、直ちにこれが習俗慣行化していると即断するのは、安易に過ぎる。

なお、戦前における神道国教化政策の影響により、未だに神社神道をもつて、わが国古来二〇〇〇年にわたる国民的宗教であると考える者もあるが、それは誤りというべく、わが国にそのような国民的宗教が存しないことは宗教史上明らかである。そして前項で述べたとおり、今日、神道以外の他の宗教、宗派等による地鎮祭、起工式も少なからず行なわれていることを併せ考えれば、神道による地鎮式のみが国民的慣行として定着しているものといえないことは明らかである。

(6) 神道式地鎮祭に対する政府の見解について

<証拠>によると、本訴係属中昭和四五年五月一二日衆議院議員藤波孝生が、「国及び地方公共団体の施設と宗教との関連に関する質問主意書」を提出し、「国又は公の機関が社会習慣上一般に認められている宗教儀式を行なうことは、必ずしも憲法二〇条に違反するものではないと解釈して政府の解釈と相違はないかどうか(実例、国家施設造営の場合の起工式、竣工式等の神式行事)。」と質問したのに対し、内閣総理大臣佐藤栄作は、同年六月一九日付け書面をもつて「宗教にその起源を有する行為であつても、今日、その行為が広く一般国民の間において宗教的意義のあるものとして受取られず、単に社会生活における習俗とけなつているものについては、国またはその機関がそれを行なつても、憲法二〇条の趣旨に違反するものではないと考える」旨答弁していることが認められる。しかし、質問者の右質問は、社会習慣上一般に認められている宗教儀式なるものを前提にしているので、実例として挙げられた「国家施設造営の場合の起工式等の神式行事」が社会生活における非宗教的習俗になつているかどうかについては、政府も直接これに答弁せず、ただ宗教に起源を有する行為で習俗と化している行為一般について、政府の憲法上の見解が述べられているに過ぎないから、右乙号証をもつて、政府が神式起工式を習俗行事であると認めたものとは解し得ない。

また、渋川鑑定人の引用にかかる、昭和三九年七月三一日第四六国会衆議院社会労働委員会における長谷川(保)委員の質問に対する当時の林法制局長官の答弁は、要するに、「国鉄駅のクリスマスツリーのごとく、神道儀式による起工式又は竣工式は、仏教信者でもお祓いをするときにこれを行なうし、また役所の庁舎に火災厄けとして秋葉神社の神札を掲げる等、必ずしもその人の信仰が神道であることと結びつかないから、日本においてはすでに一つの習俗になつていると考えてよいのではなかろうか」との疑問を残しつつ一応の説明をしたに止まり、政府委員の国会における答弁として、神式起工式等が古来の習俗であると積極的に肯定したものではなくむしろ、後記行政実例等の厳格な態度から考えると、右の政府の決定的見解を表明したものではないと解すべきものである。

また、<証拠>によると、昭和四四年一月二九日、京都府主催の下に府議会議事堂の定礎式が護王神社宮司の主宰により神道式で挙行されたことが認められるけれども、右一事をもつて、直ちに本件地鎮祭が被控訴人主張のような習俗的行事であることを証するには足りない。

(7) 結び――本件地鎮祭は習俗的行為ではない

以上要するに、いずれの観点からしても、津市が神職に依頼し、神社神道の式次第に従つてなした本件地鎮祭は、神社神道固有の宗教儀式というべきであつて、宗教的意義の稀薄な正月の門松、クリスマスツリー等とは同視できないから、被控訴人の主張する古来一般の社会的儀礼とか単なる習俗的行事又は宗教類似の行為とは、到底いいえない。

三、信教の自由と政教分離の原則について

<書証>と当審証人滝沢清の証言、当審鑑定人佐藤功、同高柳信一の各鑑定意見を参酌し、当裁判所は、次のとおり考える。

(一)  日本国憲法二〇条の趣旨、沿革

日本国憲法二〇条の目的とするところは、各個人がその精神的、宗教的欲求をいかなる外的権威にも妨害されることなく自由に追求しうる社会状態を確保するにある。しかして、このように憲法をもつて信教の自由を保障する定めをしているのは、近代各国における憲法の特徴である。歴史的にみても、ヨーロッパにおける信教の自由は、基本的人権の中でも精神的自由確立の先駆的かつ中枢的役割をなしたものであり、信教の自由を獲得したことが、やがて思想、良心および表現等の自由権の達成につながつたのである。かかる意味で信教の自由を保障する日本国憲法二〇条の規定が、思想及び良心の自由(一九条)と思想表現の自由(二一条)の中間に位置づけられ、その核心を形成していることは、まことに象徴的であるといつてよい。そして、日本国憲法は、このような歴史的事実を踏まえて、基本的人権の保障を人類普遍の原理とし(前文)、基本的人権が、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」こと(九七条、一一条)を宣言し、かつ、「国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」責務のあること(一二条)、および「公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨定めている(一三条)のである。

わが国では、ヨーロッパの諸国民がかつて教会及びこれと結合する国権の圧力に対立抗争し、数世紀にわたる宗教的自由獲得のため、自らの血を流して自由権を闘い取つたような経験がない。そのように歴史的基盤を異にするわが国においては、戦前一般に信教の自由に対する尊厳不可侵の認識が頗る稀薄であつた。それ故に旧憲法は、「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タル業務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」(二八条)と規定し、自由権の中でも「法律の留保」を伴わないことに特色があるとされながら、結局憲法自体がその制限をつけた限定的な信教の自由たるに止まつた。のみならず、天皇を現人神とし、祭政一致をわが国体と観念した国家体制の下で、「神社は宗教に非ず」との建て前をとり、事実上神道に国教的地位を与え、「臣民タルノ義務」として神社参拝を強制したため、戦前における国民の信教の自由は、後に述べるごとく極度に制限又は抑圧されたものであつた。

そのような苦い経験と戦争の惨禍を経て、日本国憲法は、信教の自由を何らの制限なく保障し、何人も自己の欲するところに従い、特定の宗教を信じ、又は信じない自由を有すること、この自由は国家その他の権力によつて不当に侵されないとする徹底した政教分離の原則を確立し(二〇条)、さらに財政的側面からもこれを裏付け規制したのである(八九条)。

(二)  信教の自由と政教分離との関係

(1) 歴史的考察

わが国において、政教分離の原則を正しく理解するためには、戦前、戦中における神社神道と国家権力との結合がもたらした種々の弊害との関連で、これが憲法上明文化されたことを想起しなければならない。

すなわち、明治元年(一八六八年)、新政府は、祭政一致を布告し、神祗官を再興し、全国の神社をくまなく新政府の直接支配下に組み入れる神道国教化の構想を明示したうえ、神仏判然令をもつて神仏分離が達せられ、各地で廃仏毀釈が行なわれた。明治三年(一八七〇年)大教宣布の詔により神ながらの道が宣布され、翌四年(一八七一年)教部省は三条の教則を達した。すなわち、「第一条、敬神愛国ノ旨ヲ体スヘキコト。第二条、天理人道ヲ明ニスヘキコト。第三条、皇上ヲ奉戴シ朝旨ヲ遵守スヘキコト」とするいわゆる三条教憲をもつて、天皇崇拝と神社信仰を主軸とする近代天皇制の宗教的政治的思想の基本を示し国民を神道教化した。そして同年、政府は社格制度を確立して神社を系列化し、伊勢神宮を別として、官国幣社、府県社、郷社、村社および無格社の五段階に定め、中央集権的に神社を再構成し、神社には公法人の地位を、神職には官公吏の地位を与えて他の宗教には認めない特権的地位を認めた。明治八年(一八七五年)政府は神仏合流の大教院を解散し、神仏各宗に信仰の自由を容認する旨を口達しながら、明治一五年(一八八二年)神社神道の祭祀と宗教を分離することによつて神社を宗教でないとする国家神道の体制を固めた。そして仏教その他の宗教は神道の下に従属することで公認又は黙認の宗教として活動が許された。従つて、明治二二年(一八八九年)旧憲法が発布された時には、わが国の法制上は国教が存在せず、各宗教間の平等が認められていたのに拘らず、事実上は神社を国教的取扱いにした国家神道の体制がすでに確立しており、神社を崇奉敬戴すべきは国民の義務であるとしていた。翌明治二三年(一八九〇年)には教育勅語が発布されて、国家神道の教典的役割を担うことになつた。また明治三九年(一九〇六年)から官国幣社の経費を国庫の負担とし、府県社以下の神社の神饌幣帛料は地方公共団体の負担とし、ここに神社は国又は地方公共団体と財政的にも完全に結びつき、名実ともに国家の祭祀となつた。以後昭和二〇年(一九四五年)の敗戦に至るまで約八〇年間、神社は国教的地位を保持し、旧憲法の信教の自由に関する規定は空文化された。その間に制定された治安維持法、宗教団体法、警察犯処罰令等の下で、大本教、ひとのみち教団(現在のPL教団)、創価教育学会(現在の創価学会)、法華宗、日本キリスト教団、ホーリネス教派などは、安寧秩序を紊し、臣民たるの義務に背き、国家神道の体制に反するということで厳しい取締、禁圧を受け、各宗教は神社を中心とする国体観念に従属せしめられた。そして戦時中、神社参拝を通じて信仰を強制し、憲法で保障する信教の自由は極度に侵害され、国家神道がいわゆる軍国主義の精神的基盤になつていたことは一般に顕著な事実である。

(2) いわゆる神道指令について

それ故に、昭和二〇年(一九四五年)一二月一五日、連合国軍最高司令部は、「国家神道(神社神道)ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督及弘布ノ廃止ニ関スル覚書」を発した。右覚書によつて、国家と神社神道の完全な分離が命ぜられて、神社神道は一宗教となり他の一切の宗教と同じ法的基礎のうえに立つこと、そのために、神道を含むあらゆる宗教を国家から分離すること、神社神道に対する国家、官公吏の特別な保護監督の停止、公けの財政援助の停止、宗教団体法の廃止、神宮皇学館の閉鎖、国定教科書からの神道的要素の除去、公的資格における公務員の神社参拝の廃止等の具体的措置が明示された。ここに国家神道の廃止を主眼とする徹底的な政教分離、信教自由の保障への道が開かれたのである。この神道指令は、後に述べるごとく西欧諸国に行なわれている国家と教会の分離(separation of church and state)ではなく、国家と宗教の分離(se-paration of religion and state)という徹底したものであつた。すなわち、覚書第二項(a)には、「本指令ノ目的ハ、宗教ヲ国家ヨリ分離シ、(The purpose of this direction is to separate religion from the state,)」とあり、これによつて、日本政府は、神道のみならず一切の宗教に関連する「一切ノ儀式、式典、行事、信仰、教旨、神話、伝説、哲理……」(all rites, practices, ceremonies, obse-rvances, beliefs, teachings, mythology, legends, philosophy,……)を禁止すべきことが命ぜられたのである。

(3) わが国における政教分離原則の特質

以上のとおり、国家神道の解体は、国民自らの手によつてなされたものではなく、敗戦後占領軍の覚書という形で、その監督の下に外部的要因によつてなされたものであるが、さきに述べた戦前の国家神道の下における特殊な宗教事情に対する反省が、日本国憲法二〇条の政教分離主義の制定を自発的かつ積極的に支持する原因になつていると考えるべきであり、わが国における政教分離原則の特質は、まさに戦前、戦中の国家神道による思想的支配を憲法によつて完全に払拭することにより、信教の自由を確立、保障した点にあるといつてよい。

さらにわが国は、欧米のキリスト教諸国と異なり、歴史的に単一の宗教が支配的地位を占めたことがなく、民族と言語が単一である反面、宗教が多元的に発達し併存していることが宗教事情の特徴として挙げられる。それ故に、わが国のように宗教が多元的に併存している国では、国家と特定宗教との結びつきを排除するため、政教分離を徹底化することにより、はじめて信教の自由を保障することができるものというべきである。

(4) 信教の自由に対する具体的保障の態様

右のように国家と宗教との関係は、それぞれの国の歴史的条件によつて異つているので、信教の自由を憲法で保障する場合、その具体的保障の態様は国によつて異つている。その態様は、(イ)国教制度を建て前とし、国教以外の宗教について広汎な宗教的寛容を認め、実質的に宗教の自由を保障するもの(イギリス、スペイン等)、(ロ)国家と教会とは各々その固有の領域において独立であることを認め、教会は公法人として憲法上の地位を与えられ、その固有の領域については独自に処理し、競合事項に関しては和親条約(コンコルダート)を締結し、これに基づいて処理すべきものとするもの(イタリヤ、西ドイツ等)、(ハ)国家と教会ないし宗教を完全に分離し、相互に干渉しないことを主義とするもの(アメリカ、フランス―一九〇五年以降)の三つに分類することができる。そして、西欧諸国の歴史についていえば、カトリック教会の政治支配、干渉を排除し、少数者(マイノリティ)の信教の自由を確保するための国家と教会の分離にはじまつて、次第に国家と宗教の分離に移行しつつあるといえる。

日本国憲法は、さきに述べたとおり諸外国と歴史的背景が異なるけれども、前記(ハ)記載のアメリカ合衆国のとつている憲法原則(修正第一条)及びその下で展開し確立された判例理論と、ほぼ同様の完全な政教分離制度を採用していることは、憲法の沿革に徴して明らかであり、各国の憲法に比較し規定の上では、最も先進的な性格をもつものの一つといえる。

すなわち、憲法二〇条三項、八九条は、国及び公共団体の側面から宗教を規制し、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、……これを支出し、又はその利用に供してはならない。」と定め、二〇条一項後段は宗教団体の側面からこれを規制し、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」と定めた。これにより、憲法は国家と宗教との明確な分離を意図し、国家の非宗教性を宣明したのである。そして憲法の右規定を受けて教育基本法九条一、二項、社会教育法二三条二項のような規定が設けられているのである。

従つて、日本国憲法のとる厳格な政教分離原則を看過して、西欧のキリスト教諸国において、国家的行事がキリスト教の司祭によつて執り行なわれているから、同様に日本においても、神社の神職が公的行事として宗教儀式を主宰する程度のことは是認されてよいと即断することはできない。また、政教分離国であるアメリカで、大統領就任に際し聖書を用いて宣誓する儀式等が慣行として行なわれているからといつて、歴史的背景および宗教事情を異にするわが国で、神道による儀式行事を公的に執行してよいということにはならない。

しかるに小野鑑定人は、わが国における政教分離は、国家と宗教団体(教会)との分離(separation of church and statei. e. separation of religious body and state)であつて、国家と宗教との分離(separation of religion and state)ではない旨述べているが、右は、日本国憲法制定に至る歴史的経緯を考慮せず、憲法二〇条及び八九条の表現形式にのみ捉われ、政教分離の原語が“separation of church and state”であるからわが国も同様に解すべきであるとし、西欧諸国の憲法原則とわが国の憲法原則とを混同するものであつて、到底採用できない。

(三)  政教分離原則の意義及び目的

(1) 政教分離原則の意義

政教分離の原則とは、およそ宗教・信仰自由の問題が人間生活における精神的・内面的自由にかかる純粋に個人的心情の問題であるから、世俗的権力である国家(地方公共団体を含む。以下同じ)の関与べきことではなく、これを神聖なものとして公権力の彼方におき、国家は宗教そのものに干渉すべきではない、との国家の非宗教性ないし宗教に対する中立性を意味する。

要するに、宗教の問題は、国家的事項ではなく個人の私事であり、政治的次元をこえる人間の魂の救済の問題であるから、これを国家の関心外の事項とする、ということである。

(2) 政教分離原則の目的

政教分離の原則が目的とするところは、第一に信教の自由に対する保障を制度的に補強し確保するところにある。すなわち、信教の自由は、政教分離なる手段によつて具体的に保障される意味で、人権条項に併せ規定されているが、政教分離条項は、本来基本的人権そのものではなく、国の宗教に対する根本的な政治姿勢に関する原理である。換言すれば、信教の自由は、政教の分離なくして完全に確保することは不可能であり、政教分離は、まさに信教の自由をより具体的に実現せしめる現実的手段であつて、信教の自由に対する制度的保障の原理である。このことは、過去の歴史において、特定の宗教がその全盛時には常に時の政治権力に結びついて信仰を強制し、時の権力者もまた民衆統制に宗教を利用し、利用し得ない宗教はこれを禁圧したため、自己の信仰体制をもつている人々はこれを固守して激しく抵抗せざるを得なかつたことなど、政治と宗教とが対決した場面は枚挙にいとまがない。近くは、さきに述べたとおり、戦前における国家神道の下で、信教の自由が極度に侵害された歴史的事実を顧みると、信教の自由(無信仰の自由を含む)を完全に保障するために政教分離がいかに重要であるか自ら明らかである。

第二に、政教分離の原則は、国家と宗教との結合により国家を破壊し、宗教を堕落せしめる危険を防止することを目的とする。もし、国家がある特定の宗教と結びつくと、その結果、他の宗教を信仰する人々の国家に対する憎悪、不信、反感をもたらし、国家の基礎を破壊する危険を招来する。のみならず、特定宗教に対する国家の政治的、財政的援助は、該宗教に対する人々の尊敬を失わせ、その腐敗堕落を醸成する。すなわち、宗教は世俗的権力の介入を許すことができないほど、余りに個人的であり、神聖であり、かつ至純なものである。政教分離の原則は、宗教を敵視し、これを無力化することを目的とするものではなく、国によつて定められた宗教と宗教的迫害が手をたずさえるものであるという歴史的事実の自覚の上に基礎をおいているのである。

(四)  本件地鎮祭と政教分離原則との関係

津市で催された一見些細なできごとである本件地鎮祭が、違憲であるか合憲であるかを判断するにあたつて、当裁判所は、まずこれを宗教と習俗との接点で論究してきたが、さらに右に述べたような政教分離原則の原点に立ち帰つて、その違憲性につき深くこれを考察しなければならない。

政教分離原則の侵害の有無は、憲法二〇条二項の宗教の自由侵害の有無と異なり、個人に対する「強制」の要素の存在を必要としない。すなわち、国又は地方公共団体が行為主体になつて特定の宗教的活動を行えば、一般市民に参加を強制しなくても、それだけで政教分離原則の侵害となるのである。けだし、国又は地方公共団体の政治権力、威信及び財政を背景にして、特定の宗教が公的に宗教的活動を行なうこと自体が、その特定の宗教に利益を供与し、これを国教的存在に近づけ、他の宗教及び反対する少数者を異端視し、疎外する間接的圧力になるのである。これがさきに詳論したとおり、国又は地方公共団体の非宗教性を毀損し、その存立基礎を破壊する危険を生ぜしめるのみならず、特定の宗教を堕落せしめることにつながるから、政教分離原則の趣旨、目的からいつて右のようなことが許されないことは当然である。

さらに、国又は地方公共団体のする特定の宗教的活動が大部分の人の宗教的意識に合致し、これに伴う公金の支出が少額であつても、それは許容される筋合のものではない。なぜならば、そのことによつて残された少数の人は自己の納付した税金を自己の信じない、又は反対する宗教の維持発展のために使用されることになり、結局自己の信じない、又は反対する宗教のために税金を徴収されると同じ結果をもたらし、宗教的少数者の人権が無視されることになるからである。このような少数者の権利の確保が、個人の尊厳を基調とする人権規定の根底にあり、信教の自由を保障する規定の基礎にあるわけである。人権に関することがらを大部分の人の意識に合致するからといつた、多数決で処理するような考え方は許されるはずがない。日本国憲法が基本的人権を人類の自由獲得の努力の成果であるとし、普遍人類性を強調していることからいつて、他の自由権と同様にこれを厳格に解釈すべきことは当然である。

本件において、津市が地鎮祭を神社神道式で行なつたところで、とりたてて非難したり重大視するほどの問題でないとする考え方は、右に述べたような人権の本質、政教分離の憲法原則を理解しないものというべきである。政教分離に対する軽微な侵害が、やがては思想・良心・信仰といつた精神的自由に対する重大な侵害になることを怖れなければならない。

四、憲法二〇条三項違背の主張について

<書証>および当審証人飯坂良明の証言、当審鑑定人佐木秋夫、同和歌森太郎、同佐藤功、同高柳信一、同新井隆一の各鑑定意見を参酌し、当裁判所は、次のとおり判断する。

(一) 「国及びその機関」の意義

憲法二〇条三項は、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と規定する。ここで「国及びその機関」とは、国及び地方公共団体、その他の公権力を行使する一切の機関を総称するものと解すべきである。地方公共団体も包含されることは、地方公共団体も国と同様に公権力を行使する機関であるから憲法の基本的人権関係の規定及びこれに関連する規定については、憲法の趣旨から考えて、その権利を尊重し、これを保障すべきは当然であるからである。憲法の基本的人権に関する規定には、国と表示せられるものとその表示を欠くものとが存するが、これはただ表現上の問題にすぎないものであつて、両者を別異に解すべき何らの理由もない。

従つて、本件において地方自治体たる津市は憲法二〇条三項の主体に該当する。

(二) 「宗教的活動」の意義

ここにいう「宗教的活動」の範囲は極めて広く、特定の宗教の布教、教化、宣伝を目的とする行為のほか、祈祷、礼拝、儀式、祝典、行事等および宗教的信仰の表現である一切の行為を包括する概念と解すべきである。すなわち、第三項は、第一項後段の規定を受けて公共団体を主体とする一切の宗教的活動を禁止する趣旨に出たものであり、このことは、さきに述べた国家と宗教の完全分離主義をとるわが国の政教分離原則成立の由来からいつて明らかであり、日本国憲法が国にある程度の宗教的機能を営むことを認め、二〇条三項において国に対し禁止すべき宗教的行為を制限的に挙示したものであると解すべきではない。従つて、同条三項に「宗教教育」を挙げたのは、戦前になされたような国立、公立学校における神道教育を排除する趣旨でこれを重視し、例示したにすぎないのであつて、同項にいう「宗教的活動」とは、単に宗教の布教、教化、宣伝等を目的とする積極的行為に限らず、同条二項の「宗教上の行為、祝典、儀式又は行事」を含む一切の宗教的行為を網羅する趣旨であると解すべきである。

これに対し、被控訴人は、憲法二〇条三項にいう宗教的活動とは、当該宗教の教義、信仰を宣伝し、その宗教の拡張、信者の教化育成、多数信者の獲得をはかることを目的とする宗教的行動をいうから、本件地鎮祭のごときは宗教的活動に入らない旨主張する。そして、渋川鑑定人及び小野鑑定人は、いずれも宗教的活動(religious activity)と宗教上の行為(religious act)とを行為の積極性の度合によつて区別し、二〇条三項の宗教的活動とは、宗教の教義の宣伝、拡張又は信者の教化育成等第三者に働きかけることを主たる目的とする積極的概念であるから、同条二項に定める宗教上の行為、祝典、儀式又は行事のような消極的概念はこれに入らない、従つて、国又は地方公共団体等は、強制にわたらない以上現実に儀式を通じて教義の指導、宣伝等積極的行為をしない限り、宗教上の儀式として地鎮祭を主催しても違法ではない旨被控訴人の主張に副う供述をしているが、右のような見解は、神道の祭りがそれ自体独自の教化作用を営むものであることを看過し、法文上の用語(特に英訳の“act”と“activity”の用語)に捉われた解釈であつて、前段説示のとおり到底採用できない。もし、「宗教上の行為、祝典、儀式又は行事」の名の下に、国又は地方公共団体等と特定宗教との結びつきを許せば、政教分離の憲法原則は、遂にその一角から容易に崩れ去つてしまうであろう。「宗教上の行為」と「宗教的活動」とは截然と区別し得べき性質のものではないし、またこれを区別すべき理由もない。

(三) 行政実例等について

さればこそ、昭和二二年五月三日、日本国憲法が施行された日以降今日に至るまで、政府は政教分離の原則に従い、厳格にこれを解釈して行政指導を行なつてきたのである。すなわち、国及び地方公共団体が行為主体となつて、特定の宗教による慰霊祭、公葬、地鎮祭、上棟式、落成式等あらゆる宗教上の行為、祝典、儀式等を挙行することは、その支出する公金の名目、形式、金額の多寡にかかわらず、一貫してこれを厳しく禁止してきたのである。また、民間の請負業者らが神道式地鎮祭、上棟式等を主催する場合でも、公金の支出や官公吏、児童生徒等が公的に参列するなど、宗教上の儀式に公的要素を導入することは、厳しくこれを禁止してきたのである(昭和二三年二月一四日、同二四年五月六日付文部省宗務課長通牒、同二七年一〇月一三日文部省調査局長回答、昭和二八年一一月九日、同三六年一一月二七日付自治庁行政課長回答等)。そのために、公葬、慰霊祭等は専門の宗教家が参加することなく、特定の宗教上の儀式に偏らない方法でなされてきた。なお、昭和四二年一二月二六日衆議院委員会庁舎の増築に当つては、請負業者主催の下に公的要素を導入することなく、神式起工式が行なわれた事例がある。

右のように、政府は、行政面でもこれまで宗教にかかる問題はあくまでも個人の問題であると考え、国又は地方公共団体が宗教上の儀式ないし活動をしてはならないとする憲法上の基本的原理を堅持してきたものといつて差支えない。

(四) 本件地鎮祭は特定の宗教的活動である

以上説示してきたところから明らかであるとおり、本件において、津市が主催者となり、大市神社の神職に依頼して挙行した本件地鎮祭は、神社神道における祭祀の一つである。しかも、神社神道は祭りを通じて積極的な教化活動をしていることは、さきに「神社神道における祭祀の意義」の項で課説したとおりであるから、本件地鎮祭が特定宗教による宗教上の儀式であると同時に、憲法二〇条三項で禁止する「宗教的活動」に該当することはいうまでもない。

五、結び

以上の次第で、津市が挙行した神社神道式の本件地鎮祭は、政教分離の原則を侵し、憲法二〇条三項の規定に違反する宗教的活動として許されないものといわねばならない。従つて、これに基づき被控訴人が市長としてなした公金(神職報償費四〇〇〇円、供物代三六六三円)の支出は、右金銭の名目、形式、金額の如何を問わず(右金銭が神社に帰属したものか、神職個人に帰属したものか、社会通念上相当な金額の範囲内であるか否を問わない)、憲法八九条の適用をまつまでもなく、基本となる権利義務関係が法律上許されない以上、違法な支出たるを免れない。また、被控訴人市長は、右公金の支出が事前に津市議会において適法に議決されていることの故をもつて免責されるものではない。地方公共団体たる津市は、右違法な公金の支出により右同額の財産上の損害を蒙つているものといわざるを得ない。

よつて、地方自治法第二四二条の二第一項第四号の規定に基づく控訴人の本訴請求は、その余の主張について判断を加えるまでもなく正当であるから、これを認容すべきであり、被控訴人は津市に対し、右金七六六三円とこれに対する支出の日の後である昭和四〇年五月六日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を付して右損害を補てんする義務があるというべきである。

第二控訴人の慰藉料請求に対する判断

一、被控訴人が昭和四〇年一月七日津市長名義をもつて控訴人に対し、招待状を発して本件地鎮祭への臨席方を求めたこと津市議会議員の地位にあつた控訴人は、同同月一四日挙行された本件地鎮祭に参加したことは、いずれも当事者間に争いがない。

そして本件地鎮祭が、神職主宰の下に挙行された神社神道による宗教上の儀式ないし行為であることは、第一で認定説示したとおりである。

二、控訴人は、被控訴人より右地鎮祭への参加を余儀なくされたとして、憲法二〇条二項で保障する控訴人の信教の自由を侵害し、かつ控訴人に侮辱を与えた旨主張するので、この点につき審按する。

憲法二〇条二項の「強制」とは、公権力その他によつて同項に規定する宗教上の行為に参加することを義務づけることをいい、強制が直接的たると間接的たると、肉体的たると精神的たるとを問わないと解すべきである。従つて、公務員に対し、職務命令により宗教上の行為に参加することを義務づけることは、個人の信教の自由(無信仰の自由を含む)を侵害するものとして許されない。

しかしながら、本件地鎮祭は、津市が主催者になつて挙行し、被控訴人は津市の代表者として、控訴人に招待状を発したのみで、これに参加すると、否とは控訴人の自由意思により決定すべきことがらであり、控訴人が参加しなかつたからといつて、格別に社会的・政治的不利益を蒙つたり、差別待遇を受けたりするものではない。また、被控訴人津市長と同市の特別職の地方公務員・市議会議員たる控訴人との関係は、命令服従の関係にたついわゆる特別権力関係にあるものではないから、控訴人がこれに参加する法律上の義務を負うものでないことはいうまでもない。

さらに、控訴人が市議会議員たる故をもつて、本件地鎮祭に参加しなければならない職務上の義務を有するものとは解されない。

しかも、これを本件についてみるに、<証拠>を併せ考えると、控訴人は、市議会議員の一人として被控訴人から本件地鎮祭への案内状(右案内状には、式後の祝賀会用粗食を準備する都合上、津市教育委員会社会教育課宛に出欠の有無を回答する返信用葉書が同封されていた)を受け取つたが、同月九日直ちに社会教育課へ赴き、墨谷主任に祭儀の内容につき説明を求めて、同人から地鎮祭の式次第を記載した書面を受け取り、本件地鎮祭が神社神道式で挙行されることを事前に知つたこと、そこで、かねてから市が特定宗教により儀式を行なうことにつき疑問をもつていた控訴人は、同月一一日津地方裁判所に対し、右地鎮祭が違憲であることを主張して、執行停止を求めたところ、同月一三日同裁判所において右申立を却下されたこと、そのため翌一四日、控訴人は、無神論者であるにかかわらず自己の信条に反して進んで本件の神式地鎮祭に参加したが、後日のために、写真を撮影したりなどして証拠を蒐集し、礼拝等を全くしなかつたことが推認できる。

そうであれば、控訴人が被控訴人より一片の招待状を受け取つたことに因り、精神的に威圧を感じて本件地鎮祭へ参加を強制されたとか、被控訴人より侮辱を受け名誉を毀損されたものとは到底認められない。前掲控訴人本人の供述中、右認定に反する部分はにわかに措信できない。

三、よつて、控訴人が被控訴人より本件地鎮祭に参加することを強制されて精神的苦痛を受けたことを理由とする慰藉料請求は、その余の判断をするまでもなく理由がないから、これを棄却すべきものである。

第三結論

以上説示の次第であるから、原判決中、地方自治法二四二条の二に基づく請求を棄却した部分は不当であるからこれを取り消すべきものとし、慰藉料請求を棄却した部分は相当であるからその控訴を棄却すべきものとし、民訴法三八六条、三八四条、九六条、九二条、一九六条に従い、主文のとおり判決する。

(伊藤淳吉 宮本聖司 土田勇)

<参考・第一審判決>―――――――

市が主催する地鎮祭と憲法二〇条三項

(津地裁昭和四〇年(行ウ)第二号、行政処分取消等請求事件、同四二年三月一六日民事部判決)

【判決要旨】地鎮祭は原始信仰たる自然崇拝に起因するものではあるが、現在においては、本来の信仰的要素を失い、建築着工に際して行なうべき形式としての習俗的行事として受けとられ、行なわれているから、市が主催して地鎮祭を行なつても、憲法二〇条三項に違背するものではない。

【参照条文】憲法二〇条・八九条、地方自治法二四二条の二

原告

関口精一

被告津市長

角永清こと

角永清

被告

津市教育委員会

右代表者委員長

大森四郎

右被告両名代理人

樋口恒通

主文

一、原告の被告角永清に対する地方自治法第二四二条の二に基ずく請求及び慰藉料請求はいずれも棄却する。

一、原告のその余の訴えはこれを却下する。

一、訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は「一、被告らは連帯して津市に対し金七、六六三円を支払い、市の蒙つた損害を補てんせよ。二、被告らは原告に対し金五〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和四〇年四月九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。三、訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として次のとおり述べた。

一、被告らは昭和四〇年一月一四日津市体育館起工式を津市船頭町所在の建設現場において挙行し、原告は津市議会議員として同年一月八日津市長から招待を受け、右起工式に参列した。

二、右起工式は被告津市教育委員会がその所属職員をして企画、立案、実施させたもので、先ず同委員会所属職員をして参列者に対し手水の儀(入口から式場に入る途中で市職員が杓子で参列者の手に水をかける儀式)を行なわせ、同委員会社会教育課体育係長伊藤義春を進行係として、宗教法人大市神社宮司宮崎吉脩ら四名をして神式に則り修祓、降神の儀(一同起立、磬折)、献饌、祝詞奏上(一同起立磬折)、清祓の儀、刈初めの儀、鍬入れの儀、玉串奉奠、撤饌、昇神の儀(一同起立、磬折)の式次第による儀式を行つたものである。なおその際参列者全員は数回に亘り進行係の「一同起立」等の号令により式次第による前記儀式の遂行を余儀なくされた。

三、そして右起工式の経費はこれより先昭和三九年一二月五日津市議会において可決され、ついで同四〇年三月二二日歳出予算第一〇款教育費第六項保健体育費第二目体育施設費に神職の謝礼金四、〇〇〇円を新たに報償費に計上し、同額を需要費から減ずる補正予算が可決されたので津市教育長は「津市教育長等の市長の権限に属する事務の一部の補助執行に関する規則」第四条、津市事務専決規程第五条第一項第二号(ケ)に基き神官報償費金四、〇〇〇円、供物青物代金等金三、六六三円合計金七、六六三円の支出を支出官である収入役をしてなさしめたものである。

(津市教育委員会は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律第二条第一三号により公共団体である津市の合議制の教育行政機関として体育に関する事務を管掌しており、その予算の執行は同法第二四条第五号で市長の権限事項ではあるが、地方自治法第一八〇条の二を受けて制定された前記補助執行に関する規則により予定価格が一万円をこえない報償費等の支出につき津市教育委員会の指揮監督を受け教育委員会の権限に属するすべての事務を司る責任を有する津市教育委員会教育長に専決処分をなす権限を教育委員会が委任しているのである。従つて本件起工式の実施はそれが教育委員会の所管事項である体育のための施設である体育館建設の起工式であることからして教育長が前記各法条により専決処分として前記支出を収入役をしてなさしめたわけである。)

もつとも本件起工式の経費予算の支出は津市長が津市議会に提案して議決されたもので且つ起工式の招待も津市長名でなされたものであるから対外的な関係における支出命令権者は市長角永清というべきであるが内部的には教育委員会の委任に基づき教育長が専決処分をしたわけであるから対内的な支出命令権者は津市教育委員会というべきであり、従つて右支出は市長角永清及び教育委員会(委員長は大森四郎)が共同でこれに関与したものというべきである。

四、ところで右神官報償費等の支出は次の理由により違法である。

(一) 憲法第二〇条第三項は国及びその機関はいかなる宗教的活動もしてはならない旨規定しているが、これは信教の自由の保障を完全なものにするため国家がすべての宗教に対して中立的立場に立つこと換言すれば政教分離の原則を宣言するものであつて、この原則は当然国家の宗教団体への援助の禁止を包含するものであり、憲法第八九条前段はその旨を財政面から明確にしたのである。しかるに本件起工式は先に述べた式次第からしても神道の宗教的活動に該当することは明白であり、かゝる宗教的儀式に関し、神官報償費等を支出することは憲法の右諸規定に反する違法な支出であることは明らかである。

附言すれば本件のように神式による起工式が世上往々にして私人間に広く行われていたとしても、その故を以つて公的機関である公共団体が右のような神式による起工式を私人と同じようになしても憲法に違背しないという論は失当と考える。

(二) 地方自治法第一三八条の二は普通地方公共団体の執行機関は普通地方公共団体の条例、予算その他の議会の議決に基づく事務を自らの判断と責任において誠実に管理し及び執行する義務を負う旨規定している。しかるに本件起工式の運営については神式による起工式を禁止した行政実例等があるにも拘らず被告らが敢て前記のとおり神式による起工式を行い、神官報償費等を支出したことは地方自治法の右規定に反する違法な支出であることもまた明らかである。

五、従つて被告らは共同して前記のとおり神式による違法な起工式を執り行い、違法に金七、六六三円の公金を支出して津市に対し右金額相当の損害を与えたのであるから被告らは連帯して津市に対しこれが損害を補てんすべき義務がある。

六、原告は市会議員として本件起工式に招待をうけたことによつて何等信仰していない前記のような神式による宗教的儀式に参加を強いられ(市会議員が招待を受けながら格別の理由もなく欠席することは世論の批判を招くことは明白であるから原告としては出席せざるを得なかつた。)そのため精神的苦痛を蒙つた。その慰藉料は金五〇、〇〇〇円が相当と考える。

右慰藉料請求は住民訴訟ではなく原告私人の資格においてする損害賠償請求であり、行政事件訴訟法第四三条、 第一六条により併合しうるものである。

七、原告は津市の住民として昭和四〇年一月二二日右公金の違法な支出について、地方自治法第二四二条第一項に基づき監査請求をしたところ同年三月一日津市監査委員より被告らの行つた起工式は適法で前記支出も違法ではない旨の通知をうけた。

八、しかしながら原告は監査委員のなした右監査の結果に不服であるから被告らの前記違法支出により津市が蒙つた損害額金七、六六三円並びに被告らの原告に対する慰藉料金五〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和四〇年四月九日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による金員の支払を求めるため本訴に及んだと述べ、

<証拠略>

被告ら訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として次のとおり述べた。

一、原告主張の請求原因中第一項の事実は認める。

同第二項の事実は認める。但し参列者に手水の儀を行わせたこと、一同起立の号令を発したとの事実は否認する。

同第三項の事実中原告主張のような経緯で予算が成立し原告主張のとおり金七、六六三円が支出官たる収入役により支出されたこと、右支出の命令権者は市長であること市長名で起工式の招待状をだしたこと、原告主張のとおりの補助執行に関する規則等の存することはいずれも認めるが、右金員の支出が「津市教育長等の市長の権限に属する事務の一部の補助執行に関する規則」第四条所定の専決事項であることは否認する。被告教育委員会は右金員の支出行為には関与していない。

同第四、第五項の主張については後記のとおり争う。

同第六項の事実中本件起工式に原告を招待したこと及び原告が本件起工式に参加したことは認めるが、参加は強制していない。原告が本件起工式に参加したのは自ら進んでしたものというべきでもとよりそのために原告に侮辱を加えたということもない。

同第七項の事実は認める。

二、元来憲法第二〇条三項にいう宗教活動とは宗教団体又は個人がその宗教の教義をひろめ、そのために或る儀式を行い、且つ信者を教化育成することを主たる目的としての行動をいうものであるところ、本件起工式は旧来わが国において土木建築等の場合工事の無事安全を願つて慣習として各宗派を超越し、宗派に関係なく起工式或いは鍬入式という名称の下に行なわれる儀式と同じものであつて単なる形式的儀礼にすぎないものであつて宗教的活動ないし宗教的行為というものではない。

又本件起工式は津市が体育館建設について工事請負人と私法上の請負契約を締結し、その建築着手に際して発注者たる同市が主催して私的行事として行つたものである。

三、本件起工式の経費予算は津市教育委員会事務局の社会教育課文化体育係において企画し、昭和三九年一一月初旬同課から同委員会管理課に提出され、同課から市部局総務課を経て同年一一月末の定例市議会に提案され、市長説明の上、同年一二月五日の議会において可決されたものである。

<証拠略>

理由

一、先づ原告の損害補てんを求める請求部分について判断するに、本件請求は原告が津市の住民たる資格において地方自治法第二四二条の二第一項第四号に基く訴であると解せられるところ、この訴訟の被告とすべきものについては同条同号は「当該職員に対する損害賠償の請求」と定めている。同条が右のように規定した所以は当該団体の職員が団体に対し損害を与えた場合はその住民が団体に代位して損害を生じせしめた職員個人の責任を追求し以つて当該団体の損害の回復をはかるためであると解すべきであるから右訴訟の被告は公共団体の機関たる当該職員ではなく個人としての当該職員であると解すべきである。

この見地に立つと本件請求中合議制の行政機関である津市教育委員会を被告とする部分は被告適格を欠き不適法たるを免れないことは明白であろう。この場合に被告を教育委員長大森四郎個人としたものと解することは合議制の行政機関である教育委員会の性質に照らし困難である。

してみると原告の被告津市教育委員会に対する地方自治法第二四二条の二に基づき損害補てんを求める請求はその余の点を判断するまでもなく不適法な訴であつて却下を免れない。

二、(一) つぎに本件請求中被告津市長角永清に対する訴について考えるに前述の理由により被告は津市長角永清ではなく個人としての角永清とさるべきである。この見地に立つて考えれば本訴状中被告角永清の氏名の上に表示されている津市長なる記載は単に現職を示したものにすぎないものであつて、個人としての角永清を被告としたものと解するのが相当である。

(二) そこで被告角永清に対する原告の損害補てんの請求部分について判断するに、昭和四〇年一月一四日津市体育館起工式が同市船頭町所在の建設現場において挙行されたこと、右起工式は原告主張のとおり宗教法人大市神社宮司宮崎吉脩ら四名が神式に則り原告主張のとおりの式次第(但し手水の儀の部分は除く。)によつて行われたこと、原告は津市議会議員として右起工式に招待を受け出席したこと、右起工式の経費として昭和三九年一二月五日と昭和四〇年三月二二日に津市議会において議決された予算中から神官報償費四、〇〇〇円、供物青物代金三、六六三円、合計七、六六三円が支出されたこと、原告がその主張のように監査請求をなし、その主張のとおりの結果の通知をうけたことはいずれも当事者間に争いがない。しかして本件支出がたとえ原告主張のように教育長が専決処分として収入役に支出を命じたとしてもそれは地方自治法第一八〇条の二にいう市長の権限に属する事項の補助執行であつて内部的に市長の権限を補助し執行したにすぎず結局教育長が原告主張のような専決処分をしたかどうかにかかわりなく本件支出命令権者は市長であることに帰するわけであつて、原告主張のように教育委員会と市長とが共同してこれが支出命令を発したという関係にあるものではない。

(三) 原告は本件起工式は憲法第二〇条三項にいう宗教的活動に該当するものであり、従つて右起工式のための前記金員の支出は憲法第八九条の公の財産は特定の宗教団体の便益維持等のために支出してはならないとの規定に違反し、ひいて地方自治法第一三八条の二所定の誠実義務に違反する違法な支出である旨縷々主張するので以下右主張の当否について判断する。

元来我が国においては古来から地鎮祭の名の下に本件と同じ式次第による儀式が土木建築等の着工にあたり広く世上に行なわれる慣行の存することは顕著な事実である。

そして地鎮祭とはその名のとおり建築敷地の土地の神を祭り、工事の無事を祈願する祭であり、従つて右儀式は一見すれば神道特有の宗教的行事にあたるように見えるが、右儀式の実態を考察するとその宗教的色彩は非常に稀薄であり宗教的行事というより寧ろ習俗的行事という方が表現としては適切であると考える。以下にその理由を詳述する。

我が国においては、近代的宗教(開祖が明確で教義が体系的なものを指す。)が成立する以前においてきわめて素朴な民族宗教つまり原始信仰が存し、なかでも顕著なものとして山水木石などの自然そのものを崇拝の対象とする自然崇拝と雨風雷などの天然現象を惹き起す霊力の存在をみとめそれを畏敬崇拝する精霊信仰とがあり、前者すなわち自然崇拝の中に土地神信仰(いわゆる産土神信仰、屋敷神信仰等)が含まれていた。そしてこれら原始信仰はやがて近代的宗教の成立展開によつて表面上はその影を没したかに見えるけれどもいまだ完全に影を没し切つたわけではなく、習俗化された諸行事の中にその痕跡を発見する事例が屡々存するのであり、地鎮祭はその好い例であると講学上説かれており、(これは地鎮祭を含めて広く我が国に古来から行なわれてきた習俗的行事の発生の由来ないしその実態を専ら研究対象とする学問(民俗学)上通説とされている。)当裁判所も右の見解は正しいものと考える。そして右見解に従つて考えを進めると地鎮祭の発生原因となつたこのような原始信仰は永い年月の間に近代的宗教の成立発展について我が国民の意識の底に沈澱し自然崇拝に起因する地鎮祭の行事、儀式だけが永年に亘り続けられるに従い漸次本来の信仰的要素を失い、形式だけが慣行として存続されているうちにいつしか地鎮祭は何らの宗教的意識を伴うことなしにただ建築の着工にはそれをやらなければ形がととのはないと言つた意味での習俗的行事として一般の国民が考えるようになつて来たものと言えよう。

地鎮祭が右のように我が国民からこのような習俗的行事として受けとられ、且つ行なわれている以上、本件起工式もその例外である筈がなく、これを主宰した被告角永もこれに参列した殆んどの人々も神道の教義の布教宣伝とはかかわりなく、ただ工事の安全を願い従来の慣行に従いこれを実施したにすぎないことは明白である。

<証拠>によつても右事実は認められる。

他に右認定を左右するに足りる証拠は存しない。

以上説示したとおり本件起工式はそれが外見上は神道の宗教的行事に属することは否定できないけれども、その実態をみれば神道の布教宣伝を目的とする宗教的活動ではもちろんないし、また宗教的行事というより習俗的行事と表現した方が適切であろう。

従つて本件起工式は憲法第二〇条第三項に違背するものではなく、本件支出も右のような本件起工式の性質、動機及び支出金の額等から考えると特定の宗教団体を援助するための支出とは言えないわけであり、特に神官に支出した四、〇〇〇円は単に役務に対する報酬の意味を有するにすぎないことになるから本件支出が憲法第八九条ないし地方自治法第一三八条の二にていしよくする違法な支出と目することは困難である。

もとより公共団体の費用の支出は住民の信託を受け住民のために行うのであるから憲法その他の法律の遵守はできるだけ法に忠実に行うべきことは原告主張のとおりであり、そのためには憲法にていしよくする疑を少しでももたらすような支出はつつしむべきであり、その意味からすれば本件のような経費を公共団体の予算から支出することは妥当とは言えないけれども前述の理由によりいまだもつて本件支出が憲法第八九条等にていしよくする違法支出と断定することは困難である。

してみると本件支出が違法支出であることを前提とする被告角永に対する原告の地方自治法第二四二条の二に基づく請求は失当として棄却さるべきである。

三、(一) つぎに原告の慰藉料請求部分につきその当否を考えるのに、原告の右請求は住民たる資格においてではなく、本件住民訴訟たる原告とは別個に私人関口精一を原告として提起された通常訴訟であり、その主張の要旨は原告が本件起工式に招待を受けたため出席を強要され憲法第二〇条三項に違背する神式による宗教的行事に参加することを余儀なくされ、そのため憲法第二〇条二項の保障する信教の自由を侵害され、精神的打撃を受けたから、被告らに対しその損害の賠償を求めるというにあることはその主張自体に徴し明らかである。

このような訴訟を住民訴訟と併合して提起できるかどうかについては疑義が存しないわけではないが、当裁判所は行政事件訴訟法第四三条第三項、 第四一条第二項により準用される同法第一六条、 第一三条第一号にいう関連の意味を広く解し住民訴訟との併合を許容すべきものと考える。

ところで本件起工式は先に認定したとおり体育館建築の着工にあたりその工事の無事を祈念するため行なわれたのであり、これは津市の純然たる内部的行事、言い換えれば私的行事に過ぎないことは明らかであるから到底公共団体の行う行政作用にあたるものとは言えないから本件には国家賠償法の適用の余地はない。従つて津市長主宰にかかる本件起工式に起因する不法行為責任については民法第七〇九条、 第四四条によることになるから、その賠償責任の帰属主体は公共団体である津市及びその機関である市長個人となることは明らかである。

してみれば本訴につき被告適格を有するものは津市長たる地位にある角永清個人及び津市であつて、津市教育委員会は被告適格を有しないから原告の本件慰藉料請求中教育委員会に対する訴えは不適法として却下を免れない。

そしてこの見地から本訴状の被告津市長角永清とある表示中津市長の部分は単に現職を示すにすぎず、被告は津市長の地位にある角永清個人と解すべきことは住民訴訟において述べたと同様である。

(二) よつて進んで被告角永清に対する右請求につき判断するに本件起工式につき原告が津市長名を以つて招待を受けたことは当事者間に争がないが、右起工式は先に述べたとおり津市の内部的な行事(私的行事)でありこれに出席すると否とは被招待者の自由意思に委ねられていることは余りに明白であり、このことは原告が市会議員の地位にあると否とにかかわりないものというべきである。

従つて原告は別段出席を強要されたわけではないからたとえ原告が右起工式に出席し精神的苦痛を受けたとしても、それは原告の任意の出席に起因するものであるから本件起工式が憲法第二〇条第二項にていしよくするものとはいえない道理であつて、原告が本件起工式に出席を強要されたことを理由とする被告角永清に対する慰藉料請求はもとより失当として棄却を免れない。

四、よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。(松本武 杉山忠雄 青山高一)

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